亡国の聖女は氷帝に溺愛される

後日談①


「──ジルが結婚する日が来るなんてな」

 からんころんとグラスの中の氷がぶつかる。感傷にふけるような声音で、思ってもみなかったことだと語られたヴィルジールは、並々とワインが注がれているグラスから顔を上げた。 

「……別に珍しいことでもないだろう。世の中の人間の大半がしていることだ」

「十年もそれを拒み続けた口が、何を言ってるんだ」

 アスランがけらけらと笑いながら、新しいボトルに手を伸ばす。今日この日のために用意させたワインはどれも美味しく、夜間に集まり語らう三人の男の気を緩ませていた。

 ここはオヴリヴィオ帝国の皇城の一角にある、ヴィルジールの私室だ。彼らは月に一度、人々が寝静まった頃に集まり、ここで酒を飲み交わしながら色々な話をしている。かれこれ十年以上前から続いているこの時間が、三人は好きだった。

 酒に弱いエヴァンは、二杯目からはジュースを飲んでいる。だというのに、顔はもう赤く、お喋りな口はいつも以上に動いていた。

「ねえねえ陛下。どうしてルーチェ様を妃に迎えようと思ったんです?」

「ルーチェだからだが」

「だーかーらー。どうしてなのかを訊いているんですよ」

 エヴァンは空になったグラスを揺らしながら、ヴィルジールに顔を近づける。

 ヴィルジールは無表情のまま「さあな」と答えると、薄い唇を横に引いた。



 ──ヴィルジールとルーチェ。ふたりの結婚が決まったのは、ほんの数日前のことだ。

 ルーチェという少女は帝国の出身でもなければ貴族の出でもないが、数ヶ月前にヴィルジールの命を救った時から、城の敷地内にある美しい離宮が与えられていた。その離宮は襲撃を受けた際に半壊してしまったが、現在は修復作業中である。

 とは言っても、今やルーチェは皇帝の私室から徒歩数分のところにある新しい部屋に移り住んでいるのだが。

「──ルーチェ、起きているのか」

 幼馴染との会合を終えたヴィルジールは、真っ先にルーチェの部屋を訪れた。時刻的にいつもならもうとっくに寝ている時間だが、珍しく明かりが点いている。

 軽くノックをしてから部屋の扉を開けると、ルーチェはベッドの上で膝を丸めていた。

「ルーチェ?」

 ルーチェは一度だけヴィルジールを振り返ったが、すぐにそっぽを向いてしまった。離れていた半日の間に何か嫌なことがあったのか、或いはヴィルジールが何かをしてしまったのか。

「どうした。何かあったのか?」

 身体を寄せて尋ねると、ルーチェはぷうっと頬を膨らませた。どうやら後者だったようだ。

「ヴィルジールさまのばか」

 ヴィルジールはぱちくりと瞬きをした。生まれてこの方、そのように言われたことがないからだ。だが、他の誰でもない、ルーチェが言うのだから──何かやらかしてしまったのだろう。

「……何を怒っている」

「怒ってません」

「怒っているだろう。リスのように頬を膨らませて」

「リスの真似をしているのです」

 ルーチェはヴィルジールに背を向けるようにして座り直すと、ふんと鼻を鳴らした。

「……何のためだ?」

「これといって特にはありません」

 特に理由はないのに、リスの真似をしているルーチェは、どこからどう見てもぷりぷりと怒っている。

 ヴィルジールはルーチェの正面に回り、彼女の前で膝をついた。

「ルーチェ。どうして怒っているのか、教えてくれないか」

 ヴィルジールはルーチェの右手を握った。すると瞬く間に頬の膨らみは消え、ツンと上を向いていた顔が動き、ヴィルジールの目を見つめ返す。

「教えたら、何かしてくださるのですか?」

「何でもしよう」

 ヴィルジールの真摯な眼差しに、気持ちが動いたのだろうか。

 ルーチェは「では」と言って息を吸い込むと、ヴィルジールに向かって両腕を広げた。

「──はい、どうぞ」

「……どういうことだ?」

「言ったではありませんか。怒ってなどいないと」

 ルーチェはくすくすと笑いながら、さあ、と広げてくる。

 さあ、とはどういう意味だろうか。ヴィルジールの瞬きの回数は増すばかりだ。

「あのですね、ヴィルジールさま」

「……ああ。何だ」

「わたしとヴィルジールさまが結婚をするという噂が城内のあちこちで流れていまして」

「事実だろう」

「そうですけれども。その前に、わたしはヴィルジールさまの口から聞きたかったのです」

 ヴィルジールは今度こそ眉を下げた。

「何を聞きたいんだ?」

 むむ、とルーチェの顔が不満げなものに変わる。そこでやっと、ルーチェの不可解な態度の理由が見えたヴィルジールは、胸の内で「成程」と唱えた。

 どうやらルーチェは、ちゃんと言って欲しかったようだ。
 結婚してくれないか、という求婚の言葉を。

 怒っていたのは、その言葉を聞いていないどころかきちんと受け入れてもいないのに、ルーチェを妃に迎えるという話を先に城の人間たちにしてしまったからだろう。

「……ルーチェ」

 名前を呼ぶと、ルーチェの顔が明るくなった。
 早く早くと言わんばかりに、瞳を輝かせている。

 ヴィルジールは両腕を広げているルーチェの胸に飛び込むと、彼女の額に自分の額を軽く合わせた。

 吐息がかかる。これでもかというくらいに真ん丸に見開かれる菫色の瞳を見つめながら、ヴィルジールは唇を開いた。

「──俺と家族になってくれないか」

「────っ」

 ルーチェの頬が紅色に染まる。ぱくぱくと動く艶やかな唇を見ながら、ヴィルジールは微笑った。
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