蜜味センチメンタル
春、寄り添う時

四月の風はまだ少し冷たいけれど、窓の外にはもう、やわらかな陽の光が差していた。

東京の空気もいつのまにか冬の名残を脱ぎ捨て、街の色がゆっくりと春に変わっていく。

──季節が、ひとつ、巡った。

あの病院で弥に別れを告げた二月の終わりから何度目かの朝を重ねた。

そして今、羅華は穏やかな気持ちで自宅のソファに身体を預けていた。


キッチンの方から、トースターの「チン」という音と、コーヒーの香りが漂ってくる。
何気ない休日の朝。けれど、それは確かに、新しい日々の始まりでもあった。

「羅華さん。トーストにバター塗ります?」

那色が振り返りながら言う。Yシャツの袖を少しまくって、慣れない手つきでフライパンを持ち、皿を用意している。

「うん。お願いしようかな」

そう言いながら立ち上がり、那色の隣に並ぶ。

「今日の朝ごはんはなに?」

「スクランブルエッグと、ちょっとだけ焦げたベーコンです」

「ちょっとだけって、便利な言い方だね」

「便利でしょ。焦がしても可愛く聞こえる魔法」

「そう言ってごまかす気でしょ」

「気のせいですよ」

ふたりで笑い合う。キッチンに満ちる湯気と、あたたかな光に包まれて、会話は自然と弾んでいく。

那色が皿を持ち、テーブルまで運ぶ。
羅華も那色の隣に並んで腰掛け、手を合わせて朝食に手を伸ばした。

「どう? 初出社から一週間」

那色は今春、シスイ食品に正式に入社し、経営戦略部への配属が内定している。那色は軽く肩をすくめ、コーヒーに口をつけた。

「……まあ、予想どおりって感じかな」

那色はコーヒーをひと口飲みながら、軽く肩をすくめた。
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