蜜味センチメンタル
軽薄の中のぬくもり

その次の日の深夜、那色は本当にやってきた。

『羅華さーん。開けて下さーい』

モニター越しに、けろりとした那色の声が響く。時刻は深夜2時。あまりにも無防備な声の大きさに、羅華は大慌てでオートロックを解除した。

間も無くして玄関のチャイムが鳴ったので急いでドアを開ける。睨むような目で迎えると、ニヒルな笑みを浮かべた那色が立っていた。

「こんばんは、今夜は月が綺麗ですね」

「いいから早く入って!」

羅華は那色の腕を掴み、半ば引きずるように室内へ引き入れる。

「あれ、やけに積極的じゃないですか」

「夜中に外で騒がないでって言いたいの!苦情が来て住めなくなったらどうするのよ!」

怒りに任せてまくし立てると、「まあまあ、そんなに怒らないでくださいよ」と那色は悪びれもせず笑う。

「でも、起きててくれたんですね。嬉しいな」

「…"今から店出る"ってわざわざ連絡してきたくせに」

ため息混じりに返す。羅華のスマホに那色からメッセージが届いたのは、ほんの数分前だった。

ベッドで横になっていたとはいえ、律儀に起きていたことを見透かされ、羅華は居たたまれない気分になる。

そんな心情を見抜いたかのように、那色の視線がふいに足元へ落ちた。

「これ、わざわざ用意してくれたんですか?」

彼の視線の先には、羅華のものとは別のスリッパが一組。

——なんで気付くのよ…

内心で毒づきながら、羅華は視線を逸らし気まずそうに答える。

「…来客用に持っておいた方がいいと思っただけだよ」

「僕が来るのを期待してたって、素直に言えばいいのに」

那色はいたずらっぽく笑い、自然な動作で羅華の肩に手を回した。

「ここで追い返すことだってできたはずなのに、ちゃんとスリッパまで用意してる。つまり、上がってもいいって…そういうこと、ですよね?」

「っ、」

吐息がかかりそうな距離で、喉の奥からかすかな声が漏れる。

シトラスの香りにほんのりと混ざったアルコールの匂い。

それだけで酔いそうな錯覚に陥り、羅華は慌てて那色を押し返した。


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