過保護な医者に心ごと救われて 〜夜を彷徨った私の鼓動が、あなたで満ちていく〜

信頼のバトン

朝の医局。
静かな空気の中、神崎は雪乃のカルテに目を通していた。
入院中の経過、退院後の体調、メモされた小さな変化も一つひとつ丁寧に確認していく。

そこへ、滝川が背後から近づき、手元のモニターをちらりと覗き込んだ。

「彼女……その後は?」

神崎は手を止めず、淡々と答える。

「順調に回復しています。ただ、一度自宅に戻ったとき……ふとした拍子に、過去の記憶が甦ってしまって」

滝川の眉がわずかに動く。

「……どんな風に?」

神崎は静かに言葉を選んだ。

「お風呂場で、タオルを見つめたまま動けなくなって。しばらく声も出せず……明らかに不安定な状態でした」

滝川が、少し重たく息をつく。

「なるほどな……それで?」

「そのまま無理に残すわけにはいかず、僕の家に連れて行きました。今は、うちで静養しています」

滝川は驚いたように目を見開き、そして少し眉を寄せる。

「……お前の家って、あのマンションか? そこまで……」

神崎は視線をモニターに戻しながら、少し頷く。

「ひとりにさせておけなかったんです。迷いはありませんでした」

しばし沈黙が流れたあと、滝川が少しだけ口元を緩めた。

「まあ……いいんじゃないか。今さら驚きゃしないよ。で、例の件は?」

神崎はカルテを操作し、別の画面を開きながら言う。

「VSD(心室中隔欠損)の件ですね。欠損孔は6ミリ。今のところシャントも軽度で、急ぎではないが……」

神崎はカルテを操作しながら続ける。

「将来的な合併症を考慮すると、体力が戻ったタイミングでの外科的修復を視野に入れたほうがいいと思っています」

滝川が頷きながら、少しだけ首をかしげる。

「……で、そのオペは当然、心臓外科に?」

「はい。心臓血管外科に相談する予定です。幸い、病院内でも症例経験の豊富なチームがいますから」

「お前が主治医のまま連携するのか?」

神崎は一拍置いてから言った。

「いえ、近いうちに彼女には伝えるつもりです。経過観察が落ち着いたところで、主治医は交代するべきだと考えています」

滝川が小さく頷きながら、少しだけ表情をゆるめた。

「そりゃそうだ。お前の顔見て血圧上がってたら、治るもんも治らんからな」

「……それも一因です」

「で、誰に繋ぐ?」

神崎は、真っ直ぐ滝川を見据えた。

「滝川先生、お願いできませんか。信頼している先生に、きちんと任せたいんです」

滝川は目を細め、少しだけ苦笑する。

「俺が……お前の“特別な人”を診るってか。責任重大だな」

神崎は、淡く微笑んだ。

「だからこそ、信頼できる人にお願いしたいんです」

滝川はしばし黙ってから、軽く肩をすくめた。

「わかったよ。ま、本人の希望も聞いたうえで、な」
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