過保護な医者に心ごと救われて 〜夜を彷徨った私の鼓動が、あなたで満ちていく〜
不安を抱きしめて
病室の扉が、ノックもなく、そっと静かに開いた。
春の風が運んできた薄紅の光が、廊下からこぼれ込む。
静かに入ってきた白衣の人物は、神崎だった。
足音すら忍ばせるようにベッドへ近づくと、彼は雪乃の顔を見るなり、表情を曇らせた。
「……大丈夫だった?」
低く、どこか掠れた声。
いつもは揺らがないその声が、今は少しだけ息を乱しているように聞こえる。
「点滴中に副作用が出たって聞いて……ごめん。すぐに来たかったんだけど、救急搬送の患者がいて、処置から離れられなかった」
神崎はそう言って、ベッド脇の椅子にそっと腰を下ろす。
だが雪乃は、うつむいたまま黙っていた。
彼の言葉は優しかった。
その優しさが、胸に刺さる。
(来てくれなかった——)
それが理不尽な感情だというのは、わかっていた。
神崎は医師で、命を預かる現場にいる。救急搬送があれば、最優先で対応するのは当然のこと。
それでも。
自分の中の“女の子”の部分が、ずっと震えていた。
はじめての点滴。
急に赤く腫れあがった腕。
喉の奥が絞られたように息苦しくなり、ナースコールの音が鳴り響き、看護師たちが慌ただしく駆け寄ってきたとき。
「……何で……来てくれなかったんですか」
ぽつりと落ちた言葉は、まるで春の雨のように静かで、でも確かな重みを持っていた。
神崎はその言葉にぴたりと動きを止めた。
そして、ゆっくりと深く息を吐きながら、雪乃のそばへ身を寄せた。
「……怖かったよね」
そのひとことが、雪乃の胸の奥をやわらかく撫でた。
「私は……大人なんだからって、ちゃんとしなきゃって思ったけど……でも、ほんとは、すごく怖かった……」
声が震える。
神崎は静かに彼女の手を取り、点滴の刺さっていない方の冷えきった指先を、自分の温もりで包み込む。
「ごめんね。本当は、誰よりも早く駆けつけたかった。滝川先生がすぐ対応してくれて、処置もうまくいったって聞いて、安心はしたけど……君の気持ちには、追いつけてなかったね」
雪乃は、小さく頷いた。
「でも……先生が来なかったことが、一番、不安でした」
「……そうか」
神崎の手に、ほんの少しだけ力がこもった。
「雪乃さん。君のことを、ひとりにしないって——あの日、俺は言ったよね」
「……あの日?」
「君が倒れて運ばれてきて、目を覚ました夜。ベッドで震えていた君に、俺、そう言った」
雪乃の瞳がわずかに潤む。
思い出す。あの夜の、白い天井と、神崎の横顔。
「……あのときから、私のこと、考えてくれてたんですか?」
神崎は一瞬黙ってから、雪乃の目をまっすぐ見た。
「放っておけなかった。最初はそれだけだった。でも、今は……それだけじゃない」
春風が、カーテンの隙間からふわりと入り込み、病室の空気をやさしく揺らした。
「君のそばにいたいと思ってる。医者としてだけじゃなく、ひとりの人間として」
その言葉に、雪乃の胸がきゅっと締めつけられる。
彼の手のひらから伝わる温度に、心が溶けそうだった。
「……そんなふうに言われたら、安心して泣けなくなるじゃないですか」
神崎は、ふっと笑みを浮かべた。
「泣いていいよ。ここには、俺しかいないから」
その声に背中を押されるようにして、雪乃の目からぽろりと涙がこぼれる。
こらえきれなかったものが、静かに流れ出す。
神崎はその涙に何も言わず、ただ、そっと彼女の頭を撫でた。
指先が髪を梳くたびに、心の棘が一つずつ外れていくようだった。
ふたりの間の距離は、
春の陽だまりのように、そっと、でも確かに近づいていた。
春の風が運んできた薄紅の光が、廊下からこぼれ込む。
静かに入ってきた白衣の人物は、神崎だった。
足音すら忍ばせるようにベッドへ近づくと、彼は雪乃の顔を見るなり、表情を曇らせた。
「……大丈夫だった?」
低く、どこか掠れた声。
いつもは揺らがないその声が、今は少しだけ息を乱しているように聞こえる。
「点滴中に副作用が出たって聞いて……ごめん。すぐに来たかったんだけど、救急搬送の患者がいて、処置から離れられなかった」
神崎はそう言って、ベッド脇の椅子にそっと腰を下ろす。
だが雪乃は、うつむいたまま黙っていた。
彼の言葉は優しかった。
その優しさが、胸に刺さる。
(来てくれなかった——)
それが理不尽な感情だというのは、わかっていた。
神崎は医師で、命を預かる現場にいる。救急搬送があれば、最優先で対応するのは当然のこと。
それでも。
自分の中の“女の子”の部分が、ずっと震えていた。
はじめての点滴。
急に赤く腫れあがった腕。
喉の奥が絞られたように息苦しくなり、ナースコールの音が鳴り響き、看護師たちが慌ただしく駆け寄ってきたとき。
「……何で……来てくれなかったんですか」
ぽつりと落ちた言葉は、まるで春の雨のように静かで、でも確かな重みを持っていた。
神崎はその言葉にぴたりと動きを止めた。
そして、ゆっくりと深く息を吐きながら、雪乃のそばへ身を寄せた。
「……怖かったよね」
そのひとことが、雪乃の胸の奥をやわらかく撫でた。
「私は……大人なんだからって、ちゃんとしなきゃって思ったけど……でも、ほんとは、すごく怖かった……」
声が震える。
神崎は静かに彼女の手を取り、点滴の刺さっていない方の冷えきった指先を、自分の温もりで包み込む。
「ごめんね。本当は、誰よりも早く駆けつけたかった。滝川先生がすぐ対応してくれて、処置もうまくいったって聞いて、安心はしたけど……君の気持ちには、追いつけてなかったね」
雪乃は、小さく頷いた。
「でも……先生が来なかったことが、一番、不安でした」
「……そうか」
神崎の手に、ほんの少しだけ力がこもった。
「雪乃さん。君のことを、ひとりにしないって——あの日、俺は言ったよね」
「……あの日?」
「君が倒れて運ばれてきて、目を覚ました夜。ベッドで震えていた君に、俺、そう言った」
雪乃の瞳がわずかに潤む。
思い出す。あの夜の、白い天井と、神崎の横顔。
「……あのときから、私のこと、考えてくれてたんですか?」
神崎は一瞬黙ってから、雪乃の目をまっすぐ見た。
「放っておけなかった。最初はそれだけだった。でも、今は……それだけじゃない」
春風が、カーテンの隙間からふわりと入り込み、病室の空気をやさしく揺らした。
「君のそばにいたいと思ってる。医者としてだけじゃなく、ひとりの人間として」
その言葉に、雪乃の胸がきゅっと締めつけられる。
彼の手のひらから伝わる温度に、心が溶けそうだった。
「……そんなふうに言われたら、安心して泣けなくなるじゃないですか」
神崎は、ふっと笑みを浮かべた。
「泣いていいよ。ここには、俺しかいないから」
その声に背中を押されるようにして、雪乃の目からぽろりと涙がこぼれる。
こらえきれなかったものが、静かに流れ出す。
神崎はその涙に何も言わず、ただ、そっと彼女の頭を撫でた。
指先が髪を梳くたびに、心の棘が一つずつ外れていくようだった。
ふたりの間の距離は、
春の陽だまりのように、そっと、でも確かに近づいていた。