愛しのマイガール
君だから譲れない

月城邸で過ごす初めての朝は、思っていたよりずっと静かに始まった。

どこまでも続く廊下には、朝の光が白く広がるカーテンの隙間から差し込んでいた。

昨日から、私はこの屋敷に「正式な婚約者」として身を寄せることになった。

正直まだ戸惑っている。
きっかけはハルちゃんの言葉だったけれど、私自分で選んでここに立っている。とはいえ、この家の広さと静けさには、まだ慣れそうもない。

広い邸宅。
整えられた朝食の席。
完璧なまでに行き届いた使用人たちの所作。

まるで物語の中に迷い込んだみたいで、私は今もまだ、ちょっと浮いている気がしていた。

けれどそんな私の耳に、いつものように穏やかな声が届いた。

「朝、ちゃんと食べられたみたいだな」

振り返ると、ハルちゃんがもう隣に立っていた。スーツに身を包んだ彼はどこかいつもより凛としていて、でもその微笑みは変わらない。

「うん……あんまりたくさんは食べられなかったけど、美味しかったよ」

素直にそう言うと、彼は少しだけ口角を上げた。

「緊張も無理ないよな。“婚約者教育”初日だし」

「……もう、からかわないでよ」

顔が熱くなる。けど、それは嫌じゃなかった。

自分から言い出したことではあるけど、やっぱり不安で。ふと漏れたため息に、ハルちゃんはまっすぐな眼差しを向けてくれた。

「るり、昨日も言ったけど、俺は君がここにいてくれるだけで十分なんだ。正直形式なんかより気持ちの方がずっと大事だって、俺は思ってる。だから、そんなに気負わなくていいよ」

その言葉に、私は少しだけ苦笑いをうかべた。

「……ハルちゃんって、本当に私を甘やかすのが上手だね」

そうこぼすと、彼はあっさりと認めた。

「自覚あるよ。意識的に甘やかしてるから」

その一言が、どうしようもなくやさしくて。私は、胸の奥がきゅっとなるのを感じた。

けれど彼は、そっと腕時計を確認しながら言った。


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