旦那様は二人きりになると無口になるから仮初の夫婦なのかと思っていたけど、意外とそうでもなかった
閑話 執事の証言 その2
最近の旦那様は、なんだか嬉しそうにしていることが多い。
執務室では奥様から預かったハンカチを手にしてじっと見つめていたり、本を読みながらそばにいる奥様を幸せそうに一瞥したり。
奥様と結婚してからは殊更幸せそうにしていたが、最近奥様とお話ししたりお出かけしたりという機会が増えてきたからか、表情により強く出ていた。
奥様にプレゼントを渡すようにオススメした次の日の夜。
奥様に下町で買ってきたフルーツチーズケーキを無事に渡すことができ、さらには旦那様が大事にしている海の見える丘に一緒に出かけることができて、それは嬉しそうにしているのだろうな……
そう思って執務室の扉をノックする。
「…………おや?」
普段であればすぐに短い返答があるはずなのだが、今日はシンとしている。
だが執務室以外にいるという情報は私のもとには来ていないし、彼が就寝するにはまだはやい。
首を傾げながらもう一度ノックをすると、ガタンという物音とともに「あ、ああ」と返事があった。
不思議に思いながら「失礼いたします」と言いながら濃茶色の重厚なドアを開ける。
部屋に入ると旦那様はいつも通り執務机に座っていた。
しかしその机の上には書類や書籍といった類いのものは置いておらず、何も広げられていない。
彼は手を組みながら両肘をつき、その手を口のあたりに持っていきながら俯いていた。
「なあ、ジェイク」
「はい、旦那様」
二日も続いて旦那様から話しかけられるとはまた珍しい。
そう思いつつ、私は旦那様の前まで近づくと、胸に手を当てて軽く頭を下げた。
「いかがされましたでしょうか」
「…………」
しかし旦那様は言葉を続けず黙ってしまう。
怪訝に思い視線を移すと、何やら耳のあたりが赤い。
風邪をひいているわけではなさそうだが、どことなく耳だけでなく顔も赤いように思えた。
旦那様は何かを言おうと口を開こうとし、しかし閉じる、といった動作を数回繰り返す。
「旦那様?」
数分経ってもなお話しはじめないので、私は彼に問いかける。
すると旦那様はまるでギラリと睨むように眼光鋭くこちらを見つめた。
ちなみにこれは私に対して怒っているわけではなく、少し悩んでいるときの表情だったりする。
とはいえ、彼が悩んでいるというのも珍しい。
動向を見続けること数分。
やっと旦那様は口を開いた。
「ルイーゼを……抱きしめてしまった……」
「…………は?」
思わず空気が漏れだすように出てしまった疑問形には目を瞑っていただきたい。
何か領地経営についての悩みがあったり、騎士団で事件があったり。
そういうものではなく、奥様を抱きしめてしまった、と。
「それは、ようございました……ね?」
「……どうなのだろうか」
そう短く告げ、旦那様は再び俯いてしまった。
奥様を抱きしめることに、何をそんなに悩むのだろうか。
自分の中でそんな疑問があふれるが、よく考えると旦那様はあまりスキンシップをしてこない人生だった。
他人との距離もあまりうまくとれるわけではないので、抱きしめたことで何か不快な思いをさせてしまったかも、と悩んでいるのだろうか。
もしくは、抱きしめた際に奥様が何か言った言葉が、旦那様に刺さっていたりするのだろうか。
ただ、執事がプライベートな悩みに足を突っ込むというのもあまりよくない。
黙りこくる旦那様の前で悩んでいると、彼はふいに顔を上げた。
「…………ルイーゼに、嫌われてないだろうか」
ポツリと呟かれたその言葉で、私は自分自身が考えすぎていたことに気づいた。
ふむ、と考える素振りを見せながら、私は旦那様から、彼が奥様を抱きしめた経緯というのを聞く。
話を聞くに、無理に迫ったとか、奥様が嫌がったというよりかは、無意識にすぐ隣に座らせ、腰に腕を回してまるで抱くようにし、あまつさえ自分のジャケットを不躾に肩にかけてしまった、と。
「彼女に聞かないままに、強引にしてしまった……」
そう悩む旦那様を前に、私もうーん……となんと返答しようか悩んでいた。
奥様付きの侍女であるリズと先ほど明日の仕事の割り振りについて相談していたときには、それについての悪いことは言っていなかった。
むしろなんだか楽しそうに話していたと記憶している。
とはいえ、その実「とくにどうも思っていない」とは言い切れない。
奥様もそれほど思っていることを口に出すタイプではない。
貴族のご令嬢として育てられてきたように、考えや感情はさほど顔には出さず、にっこりと柔和な笑みを浮かべていることがほとんど。
口に出していないとはいえ、本当に奥様が、旦那様に抱きしめられたことを嫌がっていない、と断言するのは難しいのだ。
「そうですねぇ……」
このまま「奥様に聞いてみましょう!」というのは、旦那様には酷すぎる。
ただ、もし気にするのならこれから気を付けて絶対に抱きしめないように、とするのも、夫婦の距離感としては確実におかしい。
私も結婚して数十年が経っているが、そこで悩んだことは一度もない。
ちらりと旦那様を一瞥すると、彼はこちらをじっと見つめている。
はたから見ると普段と同じ無表情だが、よくよく見ると眉尻が下がっており、まるで子犬がねだるような表情だった。
「ひとまず、奥様の様子を見るというのはいかがでしょうか」
「様子を?」
私から解決策を伝える、というのも難しい話なので、とりあえずそう言ってみることにした。
「もし嫌われているのであれば同じ部屋になんていないでしょうし、もしとくにどうとも思われていないのであれば普段と変わりはないはずです」
本心を隠しがちな貴族といえども感情はある。
きっと行動には出るだろう……という理由である。
「……なるほど、ありがとう」
「ご参考になりましたら幸いです」
そう言うと、旦那様は再び思案に耽りはじめた。
私は肩を竦めてそれを見ると、ホットミルクを用意してから退室したのだった。
執務室では奥様から預かったハンカチを手にしてじっと見つめていたり、本を読みながらそばにいる奥様を幸せそうに一瞥したり。
奥様と結婚してからは殊更幸せそうにしていたが、最近奥様とお話ししたりお出かけしたりという機会が増えてきたからか、表情により強く出ていた。
奥様にプレゼントを渡すようにオススメした次の日の夜。
奥様に下町で買ってきたフルーツチーズケーキを無事に渡すことができ、さらには旦那様が大事にしている海の見える丘に一緒に出かけることができて、それは嬉しそうにしているのだろうな……
そう思って執務室の扉をノックする。
「…………おや?」
普段であればすぐに短い返答があるはずなのだが、今日はシンとしている。
だが執務室以外にいるという情報は私のもとには来ていないし、彼が就寝するにはまだはやい。
首を傾げながらもう一度ノックをすると、ガタンという物音とともに「あ、ああ」と返事があった。
不思議に思いながら「失礼いたします」と言いながら濃茶色の重厚なドアを開ける。
部屋に入ると旦那様はいつも通り執務机に座っていた。
しかしその机の上には書類や書籍といった類いのものは置いておらず、何も広げられていない。
彼は手を組みながら両肘をつき、その手を口のあたりに持っていきながら俯いていた。
「なあ、ジェイク」
「はい、旦那様」
二日も続いて旦那様から話しかけられるとはまた珍しい。
そう思いつつ、私は旦那様の前まで近づくと、胸に手を当てて軽く頭を下げた。
「いかがされましたでしょうか」
「…………」
しかし旦那様は言葉を続けず黙ってしまう。
怪訝に思い視線を移すと、何やら耳のあたりが赤い。
風邪をひいているわけではなさそうだが、どことなく耳だけでなく顔も赤いように思えた。
旦那様は何かを言おうと口を開こうとし、しかし閉じる、といった動作を数回繰り返す。
「旦那様?」
数分経ってもなお話しはじめないので、私は彼に問いかける。
すると旦那様はまるでギラリと睨むように眼光鋭くこちらを見つめた。
ちなみにこれは私に対して怒っているわけではなく、少し悩んでいるときの表情だったりする。
とはいえ、彼が悩んでいるというのも珍しい。
動向を見続けること数分。
やっと旦那様は口を開いた。
「ルイーゼを……抱きしめてしまった……」
「…………は?」
思わず空気が漏れだすように出てしまった疑問形には目を瞑っていただきたい。
何か領地経営についての悩みがあったり、騎士団で事件があったり。
そういうものではなく、奥様を抱きしめてしまった、と。
「それは、ようございました……ね?」
「……どうなのだろうか」
そう短く告げ、旦那様は再び俯いてしまった。
奥様を抱きしめることに、何をそんなに悩むのだろうか。
自分の中でそんな疑問があふれるが、よく考えると旦那様はあまりスキンシップをしてこない人生だった。
他人との距離もあまりうまくとれるわけではないので、抱きしめたことで何か不快な思いをさせてしまったかも、と悩んでいるのだろうか。
もしくは、抱きしめた際に奥様が何か言った言葉が、旦那様に刺さっていたりするのだろうか。
ただ、執事がプライベートな悩みに足を突っ込むというのもあまりよくない。
黙りこくる旦那様の前で悩んでいると、彼はふいに顔を上げた。
「…………ルイーゼに、嫌われてないだろうか」
ポツリと呟かれたその言葉で、私は自分自身が考えすぎていたことに気づいた。
ふむ、と考える素振りを見せながら、私は旦那様から、彼が奥様を抱きしめた経緯というのを聞く。
話を聞くに、無理に迫ったとか、奥様が嫌がったというよりかは、無意識にすぐ隣に座らせ、腰に腕を回してまるで抱くようにし、あまつさえ自分のジャケットを不躾に肩にかけてしまった、と。
「彼女に聞かないままに、強引にしてしまった……」
そう悩む旦那様を前に、私もうーん……となんと返答しようか悩んでいた。
奥様付きの侍女であるリズと先ほど明日の仕事の割り振りについて相談していたときには、それについての悪いことは言っていなかった。
むしろなんだか楽しそうに話していたと記憶している。
とはいえ、その実「とくにどうも思っていない」とは言い切れない。
奥様もそれほど思っていることを口に出すタイプではない。
貴族のご令嬢として育てられてきたように、考えや感情はさほど顔には出さず、にっこりと柔和な笑みを浮かべていることがほとんど。
口に出していないとはいえ、本当に奥様が、旦那様に抱きしめられたことを嫌がっていない、と断言するのは難しいのだ。
「そうですねぇ……」
このまま「奥様に聞いてみましょう!」というのは、旦那様には酷すぎる。
ただ、もし気にするのならこれから気を付けて絶対に抱きしめないように、とするのも、夫婦の距離感としては確実におかしい。
私も結婚して数十年が経っているが、そこで悩んだことは一度もない。
ちらりと旦那様を一瞥すると、彼はこちらをじっと見つめている。
はたから見ると普段と同じ無表情だが、よくよく見ると眉尻が下がっており、まるで子犬がねだるような表情だった。
「ひとまず、奥様の様子を見るというのはいかがでしょうか」
「様子を?」
私から解決策を伝える、というのも難しい話なので、とりあえずそう言ってみることにした。
「もし嫌われているのであれば同じ部屋になんていないでしょうし、もしとくにどうとも思われていないのであれば普段と変わりはないはずです」
本心を隠しがちな貴族といえども感情はある。
きっと行動には出るだろう……という理由である。
「……なるほど、ありがとう」
「ご参考になりましたら幸いです」
そう言うと、旦那様は再び思案に耽りはじめた。
私は肩を竦めてそれを見ると、ホットミルクを用意してから退室したのだった。