旦那様は二人きりになると無口になるから仮初の夫婦なのかと思っていたけど、意外とそうでもなかった
閑話 執事の証言 その4
リズから聞いた話によれば、どうやら作戦は成功したようだった。
旦那様のご実家であるフォンダン侯爵家は、今日に至るまでの過程が複雑だ。
奥様にそのことに興味を持ってもらうことで、旦那様との仲を深めていただく……そんな考えだったのだが――
「フォンダン侯爵領に行くつもりだから、帰るのは3日後になるわ」
奥様から突如としてそう言われたものだから、私は奥様の後ろに立つ侍女をかすかに睨んでしまった。
「な、なるほど。それではいつごろご出立のご予定でしょうか」
「急で迷惑をかけてしまうのだけど、今日行こうと思うの」
にこりと微笑みながらそう言う奥様の後ろでは、リズが珍しくぺこぺこと頭を下げ、そして手でバツ印を作っていた。
こんなことになるとは想像していなかった、というところだろうか。
まだまだ侍女として甘いな、と内心ほほ笑む。
主人や主人の関係者がどんな破天荒なことを言い出したとしてもどうにか諌めるのが、側付きの侍女や執事の仕事でもあるのだ。
「ちなみに、ご理由をお伺いしてもよろしいですか?」
「私も長く侯爵領に顔を出していないから、今領地をその場で見ているお義兄様にご挨拶をしなくては、とふと思ったの」
「さようでございますか。それはとてもよろしいことでございますね。ただ……」
私はそこで、一度話を区切った。
貴族がご領地に帰ったり、どこかのご領地を訪問したりする際は、決まってその訪問先の実質的な権利を持つ者に許可を取る必要がある。
向こうの準備もあるが、何よりも王家から見えないところでやましいことをしていない、というための証拠のためだ。
きょとんとしながら首をかしげる奥様を見つめながら、私はおもむろに口を開いた。
「貴族がご領地を訪問される際は、ご実家であったとしても先方の許可を取ることが一般的でございますので、今日突然行くというのは――」
「あら、それなら大丈夫よ。すでにお義兄様の許可はいただいたの」
そう言って奥様が取り出したのは、1通の手紙。
しっかりとフォンダン侯爵領の判が押されており、許可するという旨の文面と旦那様の兄上であるエルドリック様の署名もなされている。
私は手紙を確認する振りをして「さようでございましたか、出過ぎた真似を失礼いたしました」と言い、目だけでリズを見た。
彼女は再びぺこぺこと頭を下げて、手でバツ印を作った。
リズの様子から察するに、奥様はリズ以外の侍女を経由してエルドリック様に許可を得るための手紙を送ったのだろう。
とはいえ、この手紙を見るに、筆跡も署名も判もすべて本物であり、偽造されたものではない様子。
…………私もまだまだ執事として甘かったということか。
こうなれば、ご出立のご用意を進めるしか手立てはない。
「では、準備をしてまいりましょう」
「ううん、もう準備はしてもらったから、あとは出発するだけなの。勝手に進めてしまってごめんなさい……」
しゅんとする奥様を前に、私は絶句するしかなかった。
奥様はいったいどうして、それほどフォンダン侯爵領に赴くことに強い考えをお持ちなのだろうか。
我々としては、旦那様のご実家についてのご興味を持つくらいを想定していたが、どうやら我々は奥様の行動力を甘く見ていたかもしれない。
自身の未熟さにあっけにとられつつも、私は表情を普段のものに戻して手紙を奥様に返すと、胸に手を当てて頭を下げた。
「とんでもございません。むしろお手伝いの準備ができず申し訳ございません」
そう言い、奥様たちをエントランスホールに待機させてから、馬車の手配を始めた。
ついで手紙を書いて、それをこの家に仕える従者に渡して送らせた。
もちろん、送り先は旦那様のいる王都騎士団。
この突然の動きから察するに、おそらく奥様は旦那様に対していっさいご相談をしていることはなさそうだ。
帰ってくるなり奥様が3日ほど義実家に行っている、と言えば、旦那様も「私が何かをしてしまったのか」と狼狽するだろう。
あと私にできることとすれば、旦那様が急いでご実家の領地に戻られるとなったときの準備をはじめることくらいだ。
そうして奥様は、リズたちとともに馬車に乗り、フォンダン侯爵領へと出立した。
フォンダン侯爵領はこの王都の隣にある領なので、さほど時間はかからない。今日中にでもきっと着くことだろう。
従者たちに指示を出しているうちに日が暮れてきたものの、手紙の返事はない。
とくに噂などは入ってきていないが、もしかしたら強い魔物が王都付近に出没していて、その対応に追われているのかもしれない。
「ふむ……どうしたものか……」
「ジェイクさん!!」
エントランスホールのそばにある小部屋で書類の片付けをしていると、ノックもされずに勢いよく扉がひらき、言伝を頼んだ従者が現れた。
その手には封のされていない手紙があった。つまりは、私が送ったものではなく、旦那様が書かれたものだ。
「うわ……、すみません、ノックもなしに!」
「普段なら注意するところですが、至急ですから見逃しましょう。して、旦那様のご様子はいかがでしたか?」
「えっと、あの……」
そう尋ねるなり、従者は眉尻を下げ、言い淀む。
従者はそれから何も言うことなく手紙を差し出し、ガタガタと震え始めた。
……嫌な予感がする。
手紙を開くと、私が送った手紙にメモをするような形で、旦那様からの伝言が書かれていた。
『わかった。行ってくる』
たったそれだけの言葉だったが、すべてを理解した。
私は手紙を閉じ、ふう、と長くため息をついた。
「旦那様は、そのままご領地に向かわれたということでしょうか」
「は、はい! そ、そそういうことになります!」
「わかりました。急に手紙を頼んでしまってすみませんでした、もう今日は終わりにしていただいて大丈夫ですよ」
「わ、わかりました! 失礼します!」
従者は姿勢よく一礼すると、小部屋から出ていった。
私はもう一度大きくため息をついた。
すべてにおいて、私の想像のはるか上を行ってしまったようだ。
…………まだまだ執事として未熟だな、私は。
とはいえここで反省をし続けるわけにもいかない。
着の身着のままご領地に向かわれたということは、お着替えのものや従者がいないということだ。
さすがに旦那様のお世話をリズにさせるわけにもいかない。
「まだまだ、勉強が必要だな」
そう言いながら自身を奮い立たせて、私はいま自分ができることをやり始めたのだった。
旦那様のご実家であるフォンダン侯爵家は、今日に至るまでの過程が複雑だ。
奥様にそのことに興味を持ってもらうことで、旦那様との仲を深めていただく……そんな考えだったのだが――
「フォンダン侯爵領に行くつもりだから、帰るのは3日後になるわ」
奥様から突如としてそう言われたものだから、私は奥様の後ろに立つ侍女をかすかに睨んでしまった。
「な、なるほど。それではいつごろご出立のご予定でしょうか」
「急で迷惑をかけてしまうのだけど、今日行こうと思うの」
にこりと微笑みながらそう言う奥様の後ろでは、リズが珍しくぺこぺこと頭を下げ、そして手でバツ印を作っていた。
こんなことになるとは想像していなかった、というところだろうか。
まだまだ侍女として甘いな、と内心ほほ笑む。
主人や主人の関係者がどんな破天荒なことを言い出したとしてもどうにか諌めるのが、側付きの侍女や執事の仕事でもあるのだ。
「ちなみに、ご理由をお伺いしてもよろしいですか?」
「私も長く侯爵領に顔を出していないから、今領地をその場で見ているお義兄様にご挨拶をしなくては、とふと思ったの」
「さようでございますか。それはとてもよろしいことでございますね。ただ……」
私はそこで、一度話を区切った。
貴族がご領地に帰ったり、どこかのご領地を訪問したりする際は、決まってその訪問先の実質的な権利を持つ者に許可を取る必要がある。
向こうの準備もあるが、何よりも王家から見えないところでやましいことをしていない、というための証拠のためだ。
きょとんとしながら首をかしげる奥様を見つめながら、私はおもむろに口を開いた。
「貴族がご領地を訪問される際は、ご実家であったとしても先方の許可を取ることが一般的でございますので、今日突然行くというのは――」
「あら、それなら大丈夫よ。すでにお義兄様の許可はいただいたの」
そう言って奥様が取り出したのは、1通の手紙。
しっかりとフォンダン侯爵領の判が押されており、許可するという旨の文面と旦那様の兄上であるエルドリック様の署名もなされている。
私は手紙を確認する振りをして「さようでございましたか、出過ぎた真似を失礼いたしました」と言い、目だけでリズを見た。
彼女は再びぺこぺこと頭を下げて、手でバツ印を作った。
リズの様子から察するに、奥様はリズ以外の侍女を経由してエルドリック様に許可を得るための手紙を送ったのだろう。
とはいえ、この手紙を見るに、筆跡も署名も判もすべて本物であり、偽造されたものではない様子。
…………私もまだまだ執事として甘かったということか。
こうなれば、ご出立のご用意を進めるしか手立てはない。
「では、準備をしてまいりましょう」
「ううん、もう準備はしてもらったから、あとは出発するだけなの。勝手に進めてしまってごめんなさい……」
しゅんとする奥様を前に、私は絶句するしかなかった。
奥様はいったいどうして、それほどフォンダン侯爵領に赴くことに強い考えをお持ちなのだろうか。
我々としては、旦那様のご実家についてのご興味を持つくらいを想定していたが、どうやら我々は奥様の行動力を甘く見ていたかもしれない。
自身の未熟さにあっけにとられつつも、私は表情を普段のものに戻して手紙を奥様に返すと、胸に手を当てて頭を下げた。
「とんでもございません。むしろお手伝いの準備ができず申し訳ございません」
そう言い、奥様たちをエントランスホールに待機させてから、馬車の手配を始めた。
ついで手紙を書いて、それをこの家に仕える従者に渡して送らせた。
もちろん、送り先は旦那様のいる王都騎士団。
この突然の動きから察するに、おそらく奥様は旦那様に対していっさいご相談をしていることはなさそうだ。
帰ってくるなり奥様が3日ほど義実家に行っている、と言えば、旦那様も「私が何かをしてしまったのか」と狼狽するだろう。
あと私にできることとすれば、旦那様が急いでご実家の領地に戻られるとなったときの準備をはじめることくらいだ。
そうして奥様は、リズたちとともに馬車に乗り、フォンダン侯爵領へと出立した。
フォンダン侯爵領はこの王都の隣にある領なので、さほど時間はかからない。今日中にでもきっと着くことだろう。
従者たちに指示を出しているうちに日が暮れてきたものの、手紙の返事はない。
とくに噂などは入ってきていないが、もしかしたら強い魔物が王都付近に出没していて、その対応に追われているのかもしれない。
「ふむ……どうしたものか……」
「ジェイクさん!!」
エントランスホールのそばにある小部屋で書類の片付けをしていると、ノックもされずに勢いよく扉がひらき、言伝を頼んだ従者が現れた。
その手には封のされていない手紙があった。つまりは、私が送ったものではなく、旦那様が書かれたものだ。
「うわ……、すみません、ノックもなしに!」
「普段なら注意するところですが、至急ですから見逃しましょう。して、旦那様のご様子はいかがでしたか?」
「えっと、あの……」
そう尋ねるなり、従者は眉尻を下げ、言い淀む。
従者はそれから何も言うことなく手紙を差し出し、ガタガタと震え始めた。
……嫌な予感がする。
手紙を開くと、私が送った手紙にメモをするような形で、旦那様からの伝言が書かれていた。
『わかった。行ってくる』
たったそれだけの言葉だったが、すべてを理解した。
私は手紙を閉じ、ふう、と長くため息をついた。
「旦那様は、そのままご領地に向かわれたということでしょうか」
「は、はい! そ、そそういうことになります!」
「わかりました。急に手紙を頼んでしまってすみませんでした、もう今日は終わりにしていただいて大丈夫ですよ」
「わ、わかりました! 失礼します!」
従者は姿勢よく一礼すると、小部屋から出ていった。
私はもう一度大きくため息をついた。
すべてにおいて、私の想像のはるか上を行ってしまったようだ。
…………まだまだ執事として未熟だな、私は。
とはいえここで反省をし続けるわけにもいかない。
着の身着のままご領地に向かわれたということは、お着替えのものや従者がいないということだ。
さすがに旦那様のお世話をリズにさせるわけにもいかない。
「まだまだ、勉強が必要だな」
そう言いながら自身を奮い立たせて、私はいま自分ができることをやり始めたのだった。