旦那様は二人きりになると無口になるから仮初の夫婦なのかと思っていたけど、意外とそうでもなかった
奥様が旦那様に興味を持つ作戦、その③
馬車はごとごとと音を立てて、石畳を進んでいく。
フォンダン侯爵家の馬車は質の高いものを使っているからか、古い石畳の上でもさほど揺れずにすんでいた。
旦那様の生家であるフォンダン侯爵家は王家と近く、それゆえ領も王家が直接治める王領のそばにある。
といっても馬車で半日程度かかる距離ではあるが。
「久しぶりに、お義兄さまにお会いするから、少し緊張するわ……!」
「あの、奥様……」
私の対面に座っているのは、どことなく不安げな面持ちのリズだ。
ぎゅっと両手を胸の前で握りしめ、こちらをじっと見つめている。
このお出かけを内緒にしたくてリズを通さずにいろいろと手配してしまったから、ちょっと怒ってるのかもしれない。
私はそんな彼女の両手を握りしめた。
「ごめんなさいね、リズ。でも、あなたのことを信用していないわけじゃないの。むしろとっても信用しているのよ」
「あ、ありがとうございます! そう言っていただけて、侍女冥利につきます!! ……いや、そういうことではなくて」
「?」
リズの表情が、喜怒哀楽を行ったり来たりする。
見ていて面白くはあるけれど、こんなに情緒が入り乱れているリズを見るのは初めてかもしれない。
……きっと、やっぱり怒ってるのよね。何も相談せずに物事を進めてしまったから……
「このお出かけの件なのですが」
「ええ、リズがこれまでずっと言ってくれたでしょ? 旦那様に興味を持たないといけないって。これまではリズに任せきりだったというのもあるから、自分で考えてみたの」
にこりと彼女に笑いかけると、にこりと笑みが返ってきた。
どことなくぎこちなさを感じなくもないけれど、これを見るにリズは怒ってはいなそうだわ!
今回のお出かけをしようとしたのは、リズが旦那様のご実家のお話をしたときにとても動揺していたことがきっかけだ。
結婚するときにはすでに旦那様は侯爵位をお持ちで、旦那様のご両親は結婚式に参加されなかった。
そのときは深く考えていなかったけど、もしかしたらそこに旦那様の今を作った何かがあるのかもしれない。
「とはいえ、旦那様に直接聞いて気まずくなったら、また家の雰囲気を悪くしてしまうでしょ? だから旦那様が知らないように秘密裏に進めてた、ってわけ」
リズは以前、私が嫁ぐ前はお屋敷の雰囲気がもっとギクシャクしていた、と話していた。
私のせいで再びそんな雰囲気に戻すなんて、申し訳ない。
でもこれから続くであろう夫婦生活のこと考えると、旦那様のことをよく知らないといけない。
だから、侯爵領を実質的に治めているお義兄様――エルドリック様にお話を聞いてみようと思い立ったのだ。
「リズはとても真面目だから、きっと旦那様に報告しちゃうでしょ? だから、最近新しく入った侍女のルルにお願いして、いろいろと手配してもらってたの」
「……なるほど。すべて合点がいきました……」
「だから、リズを信用していなかった、なんてことはいっさいないから、安心して! 私のことを一番よく知ってる侍女は、リズなんだから!」
「嬉しいです、奥様……嬉しいんですが……」
もにょもにょとリズは口を動かすが、最後のほうはちょうど馬車の音のせいでうまく聞き取れなかった。
「それに、ジェイクに話した『お義兄様にご挨拶する』というのも、目的の一つではあるのよ」
「そうなのですか?」
「ええ、もちろん!」
お義兄様は昔から体が弱かったそうで、早くから当主を弟である旦那様に継ぐよう進言され、自身は領の特産品である木工品細工の改良や、売買ルートの新規開拓、経営戦略などを勉強してきたと聞いている。
なので、王都などで侯爵として振る舞う仕事は旦那様が、侯爵領を現地で支える仕事をお義兄様が行っている。
とはいえ、当主の夫人が領に顔を出さずに王都に入り浸る、というのもあまり外面的によろしくない。
普段なら感謝祭シーズンのときに帰るくらいだが、今回は旦那様のことを調査しつつお義兄様とお会いして、領について知識を深めるというのも動機の一つだった。
「奥様は行動力がおありですね」
「そうかしら?」
「ええ……これを旦那様との交流にももう少し活かせれば……!」
「ん? ごめんなさい、馬車の音で聞き取れなくて」
「いえ、なんでもありませんわ!」
リズが何かを言った気がするけれど、うまく聞き取れなかった。
領と領の間の道は整備こそされているけれど石畳ではなく普通の土だから、よく揺れるし石を踏んだりしてしまうのよね。
窓の外を見ると、王都らしい家々の光景が消えて、低く木製の家屋が並ぶ光景に変わっていっていた。
街道ではあるからお店がちらほら見えるけれど、なんだか私の生家であるアルセイド子爵領の領都の街並みを思い出して、懐かしくなった。
「あら、あそこにあるのって、王都でも有名な木工細工店じゃない? この間、サマァサ様が身につけていらっしゃったのよね」
ふと視界に入ったのは、こぢんまりとしたお店と、王都の下町で最近見るようになった看板だ。
なんでも、丁寧に手入れをすれば永遠に綺麗に保てる木製の指輪が売っているんだとか。
しかもその指輪は木の塊から削って作られているらしく、継ぎ目がなく、この世に同じものが二つとないということで、今王都ではたいへん人気になっている。
サマァサ様が身につけていたのは、深みのある茶色のダークオークの木で作られた指輪だったが、木目が美しく丸いつるりとしたフォルムがとても可愛かった。
「ねえリズ、ちょっと寄ってもいいかしら……?」
「そうですねぇ……」
尋ねると、リズは服のポケットから懐中時計を取り出した。
「予定の時間より早く来ていますから大丈夫ですよ」
「ありがとう! 嬉しいわ!」
リズは手早く御者に伝え始めた。
王都ではお茶会くらいでしかそういった流行りに触れることがなかったから、なんだか新鮮な気分だ。
それに結婚してからは侯爵夫人として、こういったお店に気軽に赴くこともできなかったから、ワクワクしてくる。
そんなことを考えているうちに、馬車は動きを遅くして、その木工細工店のそばに止まる。
ついで、後ろから馬に乗ってついてきていた護衛の騎士も隣に止まった。
「お店の様子を見つつ、店員の方に入っても大丈夫か聞いてまいりますので、少々お待ちください」
「ありがとう、リズ。もし難しそうだったら、無理しなくていいわ」
彼女は「かしこまりました」と言って、にこやかに馬車から下りてお店に向かった。
タイミングの良いことにどうやら中にはお客さんが誰もいなかったようで、リズはすぐに帰ってきて、お店を見て回れるようになった。
「こういうのも新鮮で楽しいわね! あらリズ、これとっても可愛いわね!」
「本当ですね! 奥様の指は綺麗ですから、こちらもお似合いになるんじゃないでしょうか」
そんなことを和気藹々と話しながら、私たちはつかの間のお買い物をするのだった。
フォンダン侯爵家の馬車は質の高いものを使っているからか、古い石畳の上でもさほど揺れずにすんでいた。
旦那様の生家であるフォンダン侯爵家は王家と近く、それゆえ領も王家が直接治める王領のそばにある。
といっても馬車で半日程度かかる距離ではあるが。
「久しぶりに、お義兄さまにお会いするから、少し緊張するわ……!」
「あの、奥様……」
私の対面に座っているのは、どことなく不安げな面持ちのリズだ。
ぎゅっと両手を胸の前で握りしめ、こちらをじっと見つめている。
このお出かけを内緒にしたくてリズを通さずにいろいろと手配してしまったから、ちょっと怒ってるのかもしれない。
私はそんな彼女の両手を握りしめた。
「ごめんなさいね、リズ。でも、あなたのことを信用していないわけじゃないの。むしろとっても信用しているのよ」
「あ、ありがとうございます! そう言っていただけて、侍女冥利につきます!! ……いや、そういうことではなくて」
「?」
リズの表情が、喜怒哀楽を行ったり来たりする。
見ていて面白くはあるけれど、こんなに情緒が入り乱れているリズを見るのは初めてかもしれない。
……きっと、やっぱり怒ってるのよね。何も相談せずに物事を進めてしまったから……
「このお出かけの件なのですが」
「ええ、リズがこれまでずっと言ってくれたでしょ? 旦那様に興味を持たないといけないって。これまではリズに任せきりだったというのもあるから、自分で考えてみたの」
にこりと彼女に笑いかけると、にこりと笑みが返ってきた。
どことなくぎこちなさを感じなくもないけれど、これを見るにリズは怒ってはいなそうだわ!
今回のお出かけをしようとしたのは、リズが旦那様のご実家のお話をしたときにとても動揺していたことがきっかけだ。
結婚するときにはすでに旦那様は侯爵位をお持ちで、旦那様のご両親は結婚式に参加されなかった。
そのときは深く考えていなかったけど、もしかしたらそこに旦那様の今を作った何かがあるのかもしれない。
「とはいえ、旦那様に直接聞いて気まずくなったら、また家の雰囲気を悪くしてしまうでしょ? だから旦那様が知らないように秘密裏に進めてた、ってわけ」
リズは以前、私が嫁ぐ前はお屋敷の雰囲気がもっとギクシャクしていた、と話していた。
私のせいで再びそんな雰囲気に戻すなんて、申し訳ない。
でもこれから続くであろう夫婦生活のこと考えると、旦那様のことをよく知らないといけない。
だから、侯爵領を実質的に治めているお義兄様――エルドリック様にお話を聞いてみようと思い立ったのだ。
「リズはとても真面目だから、きっと旦那様に報告しちゃうでしょ? だから、最近新しく入った侍女のルルにお願いして、いろいろと手配してもらってたの」
「……なるほど。すべて合点がいきました……」
「だから、リズを信用していなかった、なんてことはいっさいないから、安心して! 私のことを一番よく知ってる侍女は、リズなんだから!」
「嬉しいです、奥様……嬉しいんですが……」
もにょもにょとリズは口を動かすが、最後のほうはちょうど馬車の音のせいでうまく聞き取れなかった。
「それに、ジェイクに話した『お義兄様にご挨拶する』というのも、目的の一つではあるのよ」
「そうなのですか?」
「ええ、もちろん!」
お義兄様は昔から体が弱かったそうで、早くから当主を弟である旦那様に継ぐよう進言され、自身は領の特産品である木工品細工の改良や、売買ルートの新規開拓、経営戦略などを勉強してきたと聞いている。
なので、王都などで侯爵として振る舞う仕事は旦那様が、侯爵領を現地で支える仕事をお義兄様が行っている。
とはいえ、当主の夫人が領に顔を出さずに王都に入り浸る、というのもあまり外面的によろしくない。
普段なら感謝祭シーズンのときに帰るくらいだが、今回は旦那様のことを調査しつつお義兄様とお会いして、領について知識を深めるというのも動機の一つだった。
「奥様は行動力がおありですね」
「そうかしら?」
「ええ……これを旦那様との交流にももう少し活かせれば……!」
「ん? ごめんなさい、馬車の音で聞き取れなくて」
「いえ、なんでもありませんわ!」
リズが何かを言った気がするけれど、うまく聞き取れなかった。
領と領の間の道は整備こそされているけれど石畳ではなく普通の土だから、よく揺れるし石を踏んだりしてしまうのよね。
窓の外を見ると、王都らしい家々の光景が消えて、低く木製の家屋が並ぶ光景に変わっていっていた。
街道ではあるからお店がちらほら見えるけれど、なんだか私の生家であるアルセイド子爵領の領都の街並みを思い出して、懐かしくなった。
「あら、あそこにあるのって、王都でも有名な木工細工店じゃない? この間、サマァサ様が身につけていらっしゃったのよね」
ふと視界に入ったのは、こぢんまりとしたお店と、王都の下町で最近見るようになった看板だ。
なんでも、丁寧に手入れをすれば永遠に綺麗に保てる木製の指輪が売っているんだとか。
しかもその指輪は木の塊から削って作られているらしく、継ぎ目がなく、この世に同じものが二つとないということで、今王都ではたいへん人気になっている。
サマァサ様が身につけていたのは、深みのある茶色のダークオークの木で作られた指輪だったが、木目が美しく丸いつるりとしたフォルムがとても可愛かった。
「ねえリズ、ちょっと寄ってもいいかしら……?」
「そうですねぇ……」
尋ねると、リズは服のポケットから懐中時計を取り出した。
「予定の時間より早く来ていますから大丈夫ですよ」
「ありがとう! 嬉しいわ!」
リズは手早く御者に伝え始めた。
王都ではお茶会くらいでしかそういった流行りに触れることがなかったから、なんだか新鮮な気分だ。
それに結婚してからは侯爵夫人として、こういったお店に気軽に赴くこともできなかったから、ワクワクしてくる。
そんなことを考えているうちに、馬車は動きを遅くして、その木工細工店のそばに止まる。
ついで、後ろから馬に乗ってついてきていた護衛の騎士も隣に止まった。
「お店の様子を見つつ、店員の方に入っても大丈夫か聞いてまいりますので、少々お待ちください」
「ありがとう、リズ。もし難しそうだったら、無理しなくていいわ」
彼女は「かしこまりました」と言って、にこやかに馬車から下りてお店に向かった。
タイミングの良いことにどうやら中にはお客さんが誰もいなかったようで、リズはすぐに帰ってきて、お店を見て回れるようになった。
「こういうのも新鮮で楽しいわね! あらリズ、これとっても可愛いわね!」
「本当ですね! 奥様の指は綺麗ですから、こちらもお似合いになるんじゃないでしょうか」
そんなことを和気藹々と話しながら、私たちはつかの間のお買い物をするのだった。