旦那様は二人きりになると無口になるから仮初の夫婦なのかと思っていたけど、意外とそうでもなかった
閑話 執事の証言 その5
「いやぁ、一時はどうなることかと思いましたが……なんとか落ち着くところに落ち着きましたね」
「ええ、リズもおつかれさまでした」
「ジェイクさんほどではありませんよ」
数日後の、誰もが寝静まった夜。
無事に旦那様と奥様の白い結婚が解消され、二人が両想いになったことを祝って、私とリズは食堂で軽く祝杯を挙げていた。
このときのために遥か昔から赤ワインを用意していて、私たちは気分よくグラスをカチンとあわせた。
ワインが喉を通ると同時に、鼻から芳醇な香りが抜ける。
長年の悩みが解消したとのワインは普段よりもいっとう美味しかった。
「あの寡黙で幸せオンチな旦那様が、ついに誰かと結ばれるとは思いもしませんでしたよ」
すでにかすかに頬を赤くしたリズが、グラスを置いてそう告げる。
実は私も、何回かは結婚が破談になるものと構えていた。
でも、奥様は旦那様に親身に付き合っていただき、ゴールインとなった。
「これでフォンダン侯爵領は安泰だな」
「ええ。とはいえ、ちょっと旦那様の独占欲の変わりようはすごいですけどね。奥様の体、本当にすごいことになってますから」
祝福ムードから一転、リズは重々しくため息を吐いた。
それは私も、他の侍女たちから聞き及んでいる。……主に苦情で。
旦那様は奥様のことを非常に愛していて、それは毎夜の営みもそう。
体を洗う侍女が恐怖の面持ちで、奥様の全身についた痕を報告してきたのも、記憶に新しい。
それだけでなく、旦那様は朝、夫婦の寝室への入室をかなり制限しているのだ。
男性は全員入室不可、女性はリズなど一部のもののみが入室ができる、といった具合だ。
「奥様の事後のお姿を見られたくない、というのはわかりますけど、我々侍女も制限されるとなると、ちょっと大変なんですよね」
「うーむ……とはいえ、旦那様のご意向だからな……」
さらには普段の生活でも、男性の使用人がそばにいると、旦那様は自身の体やマントなどで奥様を隠すようになった。
私もしばらく奥様の顔を見られていない。元気でやっているとは思いたいのだが……
「まぁ、奥様が意外とまんざらでもないご様子なんでいいんですけど、ちょっと度は過ぎているとは思いますね」
そう言ってリズは、ぐいとグラスに残ったワインを呷り、ボトルから注ぎ足した。
「奥様は意外と受け入れているのか?」
「ええ。あまり詳しいお話はされませんけど、あまりそこまで大事にされたことがないから、新鮮で楽しい、とおっしゃっていましたよ」
「……では本当に、収まるところに収まったというのか……」
「ま、お似合いなお二人ってことですよね」
そうして、二人で笑いあいながら、祝杯を飲み続けたのだった。
時刻はすでに夜更け……というよりは、夜明け前といった頃合い。
私とリズは次の日休みをとっていたので、かなり遅い時間まで食堂で語り続けていた。
とはいえ、そろそろ朝番の料理人が動き始めるころ。
彼らに迷惑がかからないように撤収しよう。
「……おや」
とそのとき、食堂の扉が開いた。
聞きなじみのある声に私とリズは即座に振り向き、頭を下げた。
「旦那様……!」
「すまない、晩酌を邪魔してしまったか」
「いえ、とんでもございません。ちょうどいま出ようと……」
そこまで言って顔をあげたところで、言おうとした内容がすべて吹き飛んでしまった。
視界の端に映るリズも絶句している。
「ん? どうした?」
かすかに片眉を上げて訊ねてくる旦那様は、珍しくシャツのボタンを胸元まで開けており、全身からただならぬ色香が漂っている。
普段よりも潤んだ瞳に赤らんだ頬は、明らかに先ほどまで行為に勤しんでいたということがよくわかった。
(もしかして……こんな時間まで……?)
「旦那様は、食堂に何かご用事ですか?」
呆然とする私をよそに、すぐにいつもの素振りに戻ったリズが旦那様に問う。
旦那様は口角を上げ、思い出し笑いでもするように片手で口元を隠すと、「ああ」と頷いた。
「水が欲しくてな。用意していたものは、なくなってしまったんだ」
「ああ、なるほど……。いまご用意しますから、お待ちくださいね」
一瞬だけリズの目つきが旦那様を軽蔑するようなものになったが、すぐに食堂の奥のほうへと向かっていったから、旦那様には見えていないだろう。
しかし、私もおそらくではあるが、似たような視線を向けているかもしれない。
ここ最近、奥様は毎日お昼すぎに目を覚ましている、と報告が上がっている。
まさか、毎日この時間まで体を重ねているというのか……?
そう思っていると、リズがすぐに水差しを持って戻ってきた。
「冷えたものをご用意しましたからね」
「ありがとう。助かるよ」
旦那様は端的にそう告げると、すぐに食堂から出ていった。
足音が聞こえなくなってから、私とリズは顔を見合わせる。
「まさか……この時間まで……?」
「その、まさかですよね……」
そして同時にため息をついた。
たしかに、旦那様と奥様が両想いになることを祈っていたし、それは実現と相成った。
だがこれまでたいそう恋に初心で、好きな人といるだけで幸せだから、という考えを持っていた旦那様からは想像がつかない……
「まるで、発情期の獣みたいですわね」
リズの目が据わっている。
しかし彼女の発言には、私も同意見だった。
どうやら、我々の懸念がひとつなくなったと同時に、新たに発生したようだ。
「まずはあのケダモノ野郎の教育をしないといけません」
「そうだな……」
事態は一刻を要する。
ひとまず明日の休みは撤回して、スケジュールを組み直そう。
まずは、エルドリック様のもとに奥様を避難させ、その間に騎士団の副団長であるトルネオ様にも協力してもらい旦那様を確保。
屋敷に連れ帰り、夫婦の閨事について再教育させよう。
一応、旦那様が領主になると決まった直後に、そのあたりの教育は終わらせているのだが、奥様と両想いになったことで箍が外れてしまったのだろう。
「奔放な血が流れているのを、すっかり忘れていた……」
「矛先が散らばっていないのが、幸か不幸かというところではありますよね」
一途に奥様を思っているのは良いことだが、その熱意が旦那様のお父様みたいに多数に向かうのではなく、奥様のみに向かっているのはよろしくない。
いつの間にか私たちの中からは達成感など薄れ、ついでに酔いも醒めてしまった。
「では明日から、また作戦を開始だ」
「かしこまりました」
食堂を片付けて廊下で別れると、リズは奥様のお支度の準備に、私は猛獣を捕らえるための縄を倉庫に探しに向かったのだった。
「ええ、リズもおつかれさまでした」
「ジェイクさんほどではありませんよ」
数日後の、誰もが寝静まった夜。
無事に旦那様と奥様の白い結婚が解消され、二人が両想いになったことを祝って、私とリズは食堂で軽く祝杯を挙げていた。
このときのために遥か昔から赤ワインを用意していて、私たちは気分よくグラスをカチンとあわせた。
ワインが喉を通ると同時に、鼻から芳醇な香りが抜ける。
長年の悩みが解消したとのワインは普段よりもいっとう美味しかった。
「あの寡黙で幸せオンチな旦那様が、ついに誰かと結ばれるとは思いもしませんでしたよ」
すでにかすかに頬を赤くしたリズが、グラスを置いてそう告げる。
実は私も、何回かは結婚が破談になるものと構えていた。
でも、奥様は旦那様に親身に付き合っていただき、ゴールインとなった。
「これでフォンダン侯爵領は安泰だな」
「ええ。とはいえ、ちょっと旦那様の独占欲の変わりようはすごいですけどね。奥様の体、本当にすごいことになってますから」
祝福ムードから一転、リズは重々しくため息を吐いた。
それは私も、他の侍女たちから聞き及んでいる。……主に苦情で。
旦那様は奥様のことを非常に愛していて、それは毎夜の営みもそう。
体を洗う侍女が恐怖の面持ちで、奥様の全身についた痕を報告してきたのも、記憶に新しい。
それだけでなく、旦那様は朝、夫婦の寝室への入室をかなり制限しているのだ。
男性は全員入室不可、女性はリズなど一部のもののみが入室ができる、といった具合だ。
「奥様の事後のお姿を見られたくない、というのはわかりますけど、我々侍女も制限されるとなると、ちょっと大変なんですよね」
「うーむ……とはいえ、旦那様のご意向だからな……」
さらには普段の生活でも、男性の使用人がそばにいると、旦那様は自身の体やマントなどで奥様を隠すようになった。
私もしばらく奥様の顔を見られていない。元気でやっているとは思いたいのだが……
「まぁ、奥様が意外とまんざらでもないご様子なんでいいんですけど、ちょっと度は過ぎているとは思いますね」
そう言ってリズは、ぐいとグラスに残ったワインを呷り、ボトルから注ぎ足した。
「奥様は意外と受け入れているのか?」
「ええ。あまり詳しいお話はされませんけど、あまりそこまで大事にされたことがないから、新鮮で楽しい、とおっしゃっていましたよ」
「……では本当に、収まるところに収まったというのか……」
「ま、お似合いなお二人ってことですよね」
そうして、二人で笑いあいながら、祝杯を飲み続けたのだった。
時刻はすでに夜更け……というよりは、夜明け前といった頃合い。
私とリズは次の日休みをとっていたので、かなり遅い時間まで食堂で語り続けていた。
とはいえ、そろそろ朝番の料理人が動き始めるころ。
彼らに迷惑がかからないように撤収しよう。
「……おや」
とそのとき、食堂の扉が開いた。
聞きなじみのある声に私とリズは即座に振り向き、頭を下げた。
「旦那様……!」
「すまない、晩酌を邪魔してしまったか」
「いえ、とんでもございません。ちょうどいま出ようと……」
そこまで言って顔をあげたところで、言おうとした内容がすべて吹き飛んでしまった。
視界の端に映るリズも絶句している。
「ん? どうした?」
かすかに片眉を上げて訊ねてくる旦那様は、珍しくシャツのボタンを胸元まで開けており、全身からただならぬ色香が漂っている。
普段よりも潤んだ瞳に赤らんだ頬は、明らかに先ほどまで行為に勤しんでいたということがよくわかった。
(もしかして……こんな時間まで……?)
「旦那様は、食堂に何かご用事ですか?」
呆然とする私をよそに、すぐにいつもの素振りに戻ったリズが旦那様に問う。
旦那様は口角を上げ、思い出し笑いでもするように片手で口元を隠すと、「ああ」と頷いた。
「水が欲しくてな。用意していたものは、なくなってしまったんだ」
「ああ、なるほど……。いまご用意しますから、お待ちくださいね」
一瞬だけリズの目つきが旦那様を軽蔑するようなものになったが、すぐに食堂の奥のほうへと向かっていったから、旦那様には見えていないだろう。
しかし、私もおそらくではあるが、似たような視線を向けているかもしれない。
ここ最近、奥様は毎日お昼すぎに目を覚ましている、と報告が上がっている。
まさか、毎日この時間まで体を重ねているというのか……?
そう思っていると、リズがすぐに水差しを持って戻ってきた。
「冷えたものをご用意しましたからね」
「ありがとう。助かるよ」
旦那様は端的にそう告げると、すぐに食堂から出ていった。
足音が聞こえなくなってから、私とリズは顔を見合わせる。
「まさか……この時間まで……?」
「その、まさかですよね……」
そして同時にため息をついた。
たしかに、旦那様と奥様が両想いになることを祈っていたし、それは実現と相成った。
だがこれまでたいそう恋に初心で、好きな人といるだけで幸せだから、という考えを持っていた旦那様からは想像がつかない……
「まるで、発情期の獣みたいですわね」
リズの目が据わっている。
しかし彼女の発言には、私も同意見だった。
どうやら、我々の懸念がひとつなくなったと同時に、新たに発生したようだ。
「まずはあのケダモノ野郎の教育をしないといけません」
「そうだな……」
事態は一刻を要する。
ひとまず明日の休みは撤回して、スケジュールを組み直そう。
まずは、エルドリック様のもとに奥様を避難させ、その間に騎士団の副団長であるトルネオ様にも協力してもらい旦那様を確保。
屋敷に連れ帰り、夫婦の閨事について再教育させよう。
一応、旦那様が領主になると決まった直後に、そのあたりの教育は終わらせているのだが、奥様と両想いになったことで箍が外れてしまったのだろう。
「奔放な血が流れているのを、すっかり忘れていた……」
「矛先が散らばっていないのが、幸か不幸かというところではありますよね」
一途に奥様を思っているのは良いことだが、その熱意が旦那様のお父様みたいに多数に向かうのではなく、奥様のみに向かっているのはよろしくない。
いつの間にか私たちの中からは達成感など薄れ、ついでに酔いも醒めてしまった。
「では明日から、また作戦を開始だ」
「かしこまりました」
食堂を片付けて廊下で別れると、リズは奥様のお支度の準備に、私は猛獣を捕らえるための縄を倉庫に探しに向かったのだった。