旦那様は二人きりになると無口になるから仮初の夫婦なのかと思っていたけど、意外とそうでもなかった
エピローグ
緻密な装飾のランプで彩られた広間では、豪華なドレスに身を包んだ女性たちや、シックで高級感のある服を着た男性たちが談笑していた。
すでに夜会はピークを越えて、人々はワイングラスを片手にほろ酔いの状態だった。
「まぁ! フォンダン侯爵だわ!」
人々が噂するのは、王都騎士団の騎士団長を務めながらも侯爵を兼任している、アルベルト・フォンダン――つまり、私の旦那様だ。
今日も夜会が始まって少し遅れてやってきたものの、それを咎める者はいない。
もともと滅多に夜会に顔を出さない旦那様だけど、今日は王妃殿下主催の夜会ということもあって、騎士団の仕事がを終わってから急いでやってきた――という体になっている。
(本当は家から出る直前に、ドレス姿の私を見せたくない、ってゴネはじめたのが理由なのだけど)
紳士然とした笑みを浮かべる旦那様を横目で見上げながら、内心でため息をつく。
一時よりかはだいぶマシになったけど、旦那様の溺愛っぷりは以前に比べて凄まじくなった。
仲が良い、と言われればそれまでだけど、毎夜毎夜足腰が使い物にならなくさせられるのは少ししんどかった。
リズやジェイクが旦那様に何かを言ってからは毎日だったのが数日おきになったからマシにはなったけど、その分、数日に一度は確実にベッドの住人になっていた。
「ルイーゼ、何か食べようか」
「ええ、そうですわね」
こちらを気遣う旦那様は、たいへん麗しい。
高い鼻梁と深い彫りのお顔が艶然と笑むと、周りから、ほう、と感嘆の息が漏れてきそうだ。
旦那様と一緒に、広間の端のほうにあるテーブルへと向かう。
そこには王家の侍従が待機していて、侍従の後方にある料理を取ってくれる。
オーダーをして待っていると、後方から聞きなじみのある声が聞こえた。
「まぁまぁまぁまぁ!! ルイーゼさん!」
「あら、夫人!」
やってきたのは、公爵夫妻だった。
私はカーテシーをし、旦那様は胸に手を当てて軽く頭を下げる。
すると公爵夫人――ミランダ夫人が「ちょっと借りるわね!」と勢いよく言い、私を広間の隅のほうへ連れて行った。
普通なら驚くところだけれど、彼女は夫たちに聞こえないようにする内緒話が好きなので、いつもこうなのだ。
「今日のあなた、とっても素敵なお洋服だわ!」
「夫人こそ、公爵閣下とお揃いの服だから、とても目立ちますし美しいですわ」
「それにしても……なんだかあなたたち、また仲良くなったんじゃないかしら?」
「そ、そうですか……?」
ぎゅっと私の両手を握った夫人は、探るような視線をこちらに向けてくる。
たしか、以前ミランダ夫人と会ったのは、旦那様が怪我を押して参加した夜会。
まだあのときは、私と旦那様は想いが通じ合っていなかった。
「ふふ、たしかに。あのときからいろいろありまして」
「まぁまぁまぁなにそれ!! 絶対に聞きたいわぁ!」
「あらやだ、良いことを聞いちゃいましたわよ」
そこに現れたのは、サマァサ様だった。
流行物に敏感な彼女は、夜会の食事を王妃殿下から直々に助言するよう依頼されることが多いらしい。
だから彼女がここにいるのは不自然ではないけれど、なんだか普段の彼女とはちょっと雰囲気が違う気がする。
なぜかミランダ夫人と同じく、こちらを探るように見てくるのだ。
「ごきげんよう、サマァサ様」
「あら、サマァサさん!」
ミランダ夫人とサマァサ様はお知り合いだったようで、気安く挨拶を交わす。
しかしサマァサ様はすぐに私に視線を戻すと、肩からかけていた小さなバッグから一冊の本を取り出した。
「ルイーゼ様にぜひ見ていただきたい小説があって、探してましたのよ! 下町で今大流行の小説で、今度劇もやるんですって!」
「まぁ、それを私に?」
サマァサ様が渡してくる小説を丁重に受け取ると、題名は「木工少女と武骨騎士」という名の児童向け小説だった。
(児童向けの小説を私に? サマァサ様だから、とくに貶めるようなことはないと思うけれど……)
そう思いながらもめくっていくが、少しずつ既視感を覚え始めた。
主人公の木工少女は、地方の森の中の街出身。そんなある日、家の都合で顔も知らぬ騎士と結婚することになってしまったが、夫婦生活はうまくいかない。
騎士は非常に寡黙かつ無表情で、何を考えているのかわからないのだ。
主人公はそれで決意する。何としてでも騎士の本心からの笑顔を見てやる、と。
そうして、いろいろなところに赴き、ついには自分にしか見せない本当の笑顔を見ることができた……ということらしい。
(どう考えてもこれ……私と旦那様じゃない!)
多少脚色されてはいるものの、挿絵に描かれている人物が完全にフォンダン侯爵家の面々だ。なんならエルドリック様もいる。
「私の調査によりますと、どうやらルイーゼ様、領をひっくり返すほどの一大恋愛劇をしたらしいじゃございませんの?」
「い、一大恋愛劇!?」
さすがにそこまでひっくり返した覚えはない。少しエルドリック様たちに助けられた部分はあるけれど。
「そうだったの、ルイーゼさん! ずっと仲が良いと思っていたけれど、やっぱりあなたたちにもそういう事件があるのね!」
「いや、あのですから、そこまではやっていなくて……」
詰め寄ってくる二人を落ち着かせようとしていると、旦那様たちが私たちのもとにやってきた。手には王家の侍従が用意してくれた食事がある。
「ルイーゼ」
「あ、あの旦那様! ちょっとお願いがあって!」
誤解を解いてほしい……そう言おうとした瞬間、旦那様の口づけで唇を塞がれてしまい、しばし何も言えなくなってしまう。
顔の向きを変えて深々と私の口内を堪能した旦那様は、少しして口を放すと再び艶やかに笑った。
「すまない、君の顔を見ていたら、可愛さのあまりキスがしたくなって」
「……っ!?」
一瞬、ぼうっとしていたものの、すぐに夜会にいたのだと思い出して顔が熱くなる。
そばにいるミランダ夫人とサマァサ様が黄色い声をあげているせいで、余計だ。
私が思考を停止させていると、旦那様は二人に向き合い、小説に視線を落とした。
「ああ、これか」
「だ、旦那様はご存知なのですか?」
震える声でなんとか聞くと、旦那様は鷹揚に、そして当たり前だと言わんばかりに頷いた。
「それを書いたのはエルドリックだからな。ちゃんと実話をもとにしたフィクションだと言っていた」
「なっ……な!」
「まぁ、やっぱり実話なのですね! これは重大ですわ!! はやくみんなに知らせなくては!!!」
「あ、ちょっと、サマァサ様!」
目をキラリと輝かせたサマァサ様は、旦那様の言葉を聞くや否やすぐさま早歩きで去ってしまった。
ミランダ夫人も目を輝かせていて、話を深掘りしたそうに見える。
いえ、ここでなんとか誤解を解かないと、尾ひれがついて私がさも世紀の大恋愛をしたみたいな話になってしまう。
社交界の噂話はそう広がっていくものなのだ。
「実話をもとにしたって言っても……」
「いいえ、それ以上は言わなくていいわ、ルイーゼさん」
だというのに、ミランダ夫人が私の発言を止め、サマァサ様が残していった小説を私の手から掬い取った。
「私はこれを読んで、あなた方の夫婦仲の良さを学ぼうと思うわ」
「いやだから、それは…………。もう、旦那様も何か言ってください!」
慌てているからか、上手い言葉が出てこない。
だから助力をこおうと旦那様を頼ったのだが……彼に視線を向けるなり、再び唇を塞がれた。
ちゅっと音がなる程度の可愛らしいものだったが、私の思考をまた止めるには十分だった。
「ふはっ、今日も可愛いな」
旦那様は唇の端を舐めてから、にこりと微笑んだ。
「……私も、このくらいの積極性がないとダメかな」
「あれはフォンダン侯爵だからできることですわよ」
私がわなわなと震えているそばで公爵夫妻が何かを言っているが、まったく耳に入ってこず、驚きと羞恥と怒り、そして嬉しさがないまぜになった不思議な感情で、いっぱいになっていた。
フォンダン侯爵領に行ってからもう数ヶ月も経っていて、その間に旦那様といろいろな話をした。
好きなもの、嫌いなもの、趣味、子供時代のころ、相手のことをどう思っているのか、相手に何をしてほしいのか、など。
これまでの静かな期間に比べてたくさん話をして、互いのことをよく知った。
でも……
(やっぱり旦那様のこと、よくわからないわ!!!)
熱くなった頬を手であおぎながら、私は甘く微笑む旦那様を見て、そう思うのだった。
すでに夜会はピークを越えて、人々はワイングラスを片手にほろ酔いの状態だった。
「まぁ! フォンダン侯爵だわ!」
人々が噂するのは、王都騎士団の騎士団長を務めながらも侯爵を兼任している、アルベルト・フォンダン――つまり、私の旦那様だ。
今日も夜会が始まって少し遅れてやってきたものの、それを咎める者はいない。
もともと滅多に夜会に顔を出さない旦那様だけど、今日は王妃殿下主催の夜会ということもあって、騎士団の仕事がを終わってから急いでやってきた――という体になっている。
(本当は家から出る直前に、ドレス姿の私を見せたくない、ってゴネはじめたのが理由なのだけど)
紳士然とした笑みを浮かべる旦那様を横目で見上げながら、内心でため息をつく。
一時よりかはだいぶマシになったけど、旦那様の溺愛っぷりは以前に比べて凄まじくなった。
仲が良い、と言われればそれまでだけど、毎夜毎夜足腰が使い物にならなくさせられるのは少ししんどかった。
リズやジェイクが旦那様に何かを言ってからは毎日だったのが数日おきになったからマシにはなったけど、その分、数日に一度は確実にベッドの住人になっていた。
「ルイーゼ、何か食べようか」
「ええ、そうですわね」
こちらを気遣う旦那様は、たいへん麗しい。
高い鼻梁と深い彫りのお顔が艶然と笑むと、周りから、ほう、と感嘆の息が漏れてきそうだ。
旦那様と一緒に、広間の端のほうにあるテーブルへと向かう。
そこには王家の侍従が待機していて、侍従の後方にある料理を取ってくれる。
オーダーをして待っていると、後方から聞きなじみのある声が聞こえた。
「まぁまぁまぁまぁ!! ルイーゼさん!」
「あら、夫人!」
やってきたのは、公爵夫妻だった。
私はカーテシーをし、旦那様は胸に手を当てて軽く頭を下げる。
すると公爵夫人――ミランダ夫人が「ちょっと借りるわね!」と勢いよく言い、私を広間の隅のほうへ連れて行った。
普通なら驚くところだけれど、彼女は夫たちに聞こえないようにする内緒話が好きなので、いつもこうなのだ。
「今日のあなた、とっても素敵なお洋服だわ!」
「夫人こそ、公爵閣下とお揃いの服だから、とても目立ちますし美しいですわ」
「それにしても……なんだかあなたたち、また仲良くなったんじゃないかしら?」
「そ、そうですか……?」
ぎゅっと私の両手を握った夫人は、探るような視線をこちらに向けてくる。
たしか、以前ミランダ夫人と会ったのは、旦那様が怪我を押して参加した夜会。
まだあのときは、私と旦那様は想いが通じ合っていなかった。
「ふふ、たしかに。あのときからいろいろありまして」
「まぁまぁまぁなにそれ!! 絶対に聞きたいわぁ!」
「あらやだ、良いことを聞いちゃいましたわよ」
そこに現れたのは、サマァサ様だった。
流行物に敏感な彼女は、夜会の食事を王妃殿下から直々に助言するよう依頼されることが多いらしい。
だから彼女がここにいるのは不自然ではないけれど、なんだか普段の彼女とはちょっと雰囲気が違う気がする。
なぜかミランダ夫人と同じく、こちらを探るように見てくるのだ。
「ごきげんよう、サマァサ様」
「あら、サマァサさん!」
ミランダ夫人とサマァサ様はお知り合いだったようで、気安く挨拶を交わす。
しかしサマァサ様はすぐに私に視線を戻すと、肩からかけていた小さなバッグから一冊の本を取り出した。
「ルイーゼ様にぜひ見ていただきたい小説があって、探してましたのよ! 下町で今大流行の小説で、今度劇もやるんですって!」
「まぁ、それを私に?」
サマァサ様が渡してくる小説を丁重に受け取ると、題名は「木工少女と武骨騎士」という名の児童向け小説だった。
(児童向けの小説を私に? サマァサ様だから、とくに貶めるようなことはないと思うけれど……)
そう思いながらもめくっていくが、少しずつ既視感を覚え始めた。
主人公の木工少女は、地方の森の中の街出身。そんなある日、家の都合で顔も知らぬ騎士と結婚することになってしまったが、夫婦生活はうまくいかない。
騎士は非常に寡黙かつ無表情で、何を考えているのかわからないのだ。
主人公はそれで決意する。何としてでも騎士の本心からの笑顔を見てやる、と。
そうして、いろいろなところに赴き、ついには自分にしか見せない本当の笑顔を見ることができた……ということらしい。
(どう考えてもこれ……私と旦那様じゃない!)
多少脚色されてはいるものの、挿絵に描かれている人物が完全にフォンダン侯爵家の面々だ。なんならエルドリック様もいる。
「私の調査によりますと、どうやらルイーゼ様、領をひっくり返すほどの一大恋愛劇をしたらしいじゃございませんの?」
「い、一大恋愛劇!?」
さすがにそこまでひっくり返した覚えはない。少しエルドリック様たちに助けられた部分はあるけれど。
「そうだったの、ルイーゼさん! ずっと仲が良いと思っていたけれど、やっぱりあなたたちにもそういう事件があるのね!」
「いや、あのですから、そこまではやっていなくて……」
詰め寄ってくる二人を落ち着かせようとしていると、旦那様たちが私たちのもとにやってきた。手には王家の侍従が用意してくれた食事がある。
「ルイーゼ」
「あ、あの旦那様! ちょっとお願いがあって!」
誤解を解いてほしい……そう言おうとした瞬間、旦那様の口づけで唇を塞がれてしまい、しばし何も言えなくなってしまう。
顔の向きを変えて深々と私の口内を堪能した旦那様は、少しして口を放すと再び艶やかに笑った。
「すまない、君の顔を見ていたら、可愛さのあまりキスがしたくなって」
「……っ!?」
一瞬、ぼうっとしていたものの、すぐに夜会にいたのだと思い出して顔が熱くなる。
そばにいるミランダ夫人とサマァサ様が黄色い声をあげているせいで、余計だ。
私が思考を停止させていると、旦那様は二人に向き合い、小説に視線を落とした。
「ああ、これか」
「だ、旦那様はご存知なのですか?」
震える声でなんとか聞くと、旦那様は鷹揚に、そして当たり前だと言わんばかりに頷いた。
「それを書いたのはエルドリックだからな。ちゃんと実話をもとにしたフィクションだと言っていた」
「なっ……な!」
「まぁ、やっぱり実話なのですね! これは重大ですわ!! はやくみんなに知らせなくては!!!」
「あ、ちょっと、サマァサ様!」
目をキラリと輝かせたサマァサ様は、旦那様の言葉を聞くや否やすぐさま早歩きで去ってしまった。
ミランダ夫人も目を輝かせていて、話を深掘りしたそうに見える。
いえ、ここでなんとか誤解を解かないと、尾ひれがついて私がさも世紀の大恋愛をしたみたいな話になってしまう。
社交界の噂話はそう広がっていくものなのだ。
「実話をもとにしたって言っても……」
「いいえ、それ以上は言わなくていいわ、ルイーゼさん」
だというのに、ミランダ夫人が私の発言を止め、サマァサ様が残していった小説を私の手から掬い取った。
「私はこれを読んで、あなた方の夫婦仲の良さを学ぼうと思うわ」
「いやだから、それは…………。もう、旦那様も何か言ってください!」
慌てているからか、上手い言葉が出てこない。
だから助力をこおうと旦那様を頼ったのだが……彼に視線を向けるなり、再び唇を塞がれた。
ちゅっと音がなる程度の可愛らしいものだったが、私の思考をまた止めるには十分だった。
「ふはっ、今日も可愛いな」
旦那様は唇の端を舐めてから、にこりと微笑んだ。
「……私も、このくらいの積極性がないとダメかな」
「あれはフォンダン侯爵だからできることですわよ」
私がわなわなと震えているそばで公爵夫妻が何かを言っているが、まったく耳に入ってこず、驚きと羞恥と怒り、そして嬉しさがないまぜになった不思議な感情で、いっぱいになっていた。
フォンダン侯爵領に行ってからもう数ヶ月も経っていて、その間に旦那様といろいろな話をした。
好きなもの、嫌いなもの、趣味、子供時代のころ、相手のことをどう思っているのか、相手に何をしてほしいのか、など。
これまでの静かな期間に比べてたくさん話をして、互いのことをよく知った。
でも……
(やっぱり旦那様のこと、よくわからないわ!!!)
熱くなった頬を手であおぎながら、私は甘く微笑む旦那様を見て、そう思うのだった。