旦那様は二人きりになると無口になるから仮初の夫婦なのかと思っていたけど、意外とそうでもなかった

旦那様の愛を確かめる作戦、その②

「旦那様…………し、下町のお菓子屋に、お出かけ、しませんか……?」

 休日の昼下がり。
 旦那様は今日も今日とてダイニングで読書をして過ごしていた。そんな彼の前に立ち、私は、旦那様の愛を確かめる作戦その2――下町の超人気お菓子店に行きたいとわがままを言ってみる、を決行していた。
 リズ曰く、自分を愛しているのであれば、たとえ有名店でどれだけ長く待とうとも根気強く待ってくれるし、嫌な顔一つもしないのでは、とのこと。
 そもそも無表情なんだから嫌な顔はわからないのでは、とは思ったが、リズがすごく本気で考えてくれていたようなので、それには言及しないでおいた。

「いま社交界の間で話題のお菓子屋さんがあるようなんです。そのお菓子を食べてみたくて……」
「…………」

 すると、旦那様は本から目を外してこちらじっと見つめる。
 なんだか悪いことをしている心地になって、私は旦那様のすぐ横に視線を逸らした。

「フルーツとそのジャムが入ったチーズケーキで、濃厚なチーズが絶品らしいんです。ただとても並ばないと買えないみたいで」

 旦那様は黙ったままだ。
 そもそも、貴族は自分自身で買い物に行くものではない。大半が使用人に買いに行ってもらうことが多く、当の本人が買い物に行くなどすることではない。
 だがそこで、妻の願いを聞き入れてお出かけをしてくれる。それが夫が妻を愛しているという証なんだ……とリズが言っていた。
 もはや愛というよりも、わがままを聞いてくれるか否かになっているとは思うのだけれど……
 ただ実はそこのチーズケーキを食べてみたかったのは事実だったりする。
 あまり夜会に参加しない我が家ではあるが、私自身はフォンダン侯爵夫人としてお茶会に呼ばれることがまあまああるし、開催することもまれにある。
 その際、参加者の間で話題に出たのだ。
 普段流行りにとても敏感で、下町で流行していたりこれから流行するかもといったりするものを我先にと出す子爵家の夫人、サマァサ様が、なんとも悔しそうにしていたのを覚えている。

『最近、下町にフルーツチーズケーキ専門店ができたらしいですの。我が家の威信にかけて今日ぜひご用意しようと頑張ったのですけれど、どうしても難しくて……』

 楽しいお茶会だというのに、サマァサ様は眉間に皺を寄せてぐっと拳を握ってテーブルに落としている。紅茶がはねてクロスに数滴飛び散る。
 いつも彼女はとても元気だから、私たちは必死に彼女を慰めたのを覚えている。

『お気になさらないでください、サマァサ様。今日ご用意いただいたこのケーキも、大変美味しいですわ』
『そ、そうよ、サマァサ様! サマァサ様がお選びになるお菓子はどれも美味しいから、今日もとても満足しているわ』

 普段、和気藹々とするお茶会ではあるけれど、その日ばかりは悔しそうなサマァサ様を皆で必死に慰め元気づけていた。
 そんなことがあったので、貴族でも用意が難しいフルーツチーズケーキとやらを、一度食べてみたかったのだ。
 そんな私をよそに、旦那様はパタリと本を閉じ、静かに立ち上がる。

「こちらへ」
「…………えっ、あ、はい!」

 いつものすんとした表情のまま、旦那様が口を開いた。

(い、いま……喋った!?)

 家の中で旦那様の声を聞いたのは、はたして何年ぶりなのだろうか。下手したら結婚してから初めて聞いたかもしれない。
 ……旦那様ってこんな声だったかしら。
 低いけれどどこか色っぽさがあって、社交パーティーで聞くようなキザなセリフを吐くときとは違う、重さを感じる。
 とても良い声で、少しだけときめいてしまう。普段は聞けない声だから、聞けてちょっと嬉しかったりする。
 私が心の中で盛り上がっているのをよそに、旦那様は私に手を伸ばす。

「…………」
「…………?」

 その手の意味がわからず、私は首を傾げる。
 握手? なぜここで握手を……?
 じっと旦那様を見つめるが、旦那様の顔からは何も窺えない。急かされることなく、旦那様はずっと私に向けて手のひらを差し出している。
 あ、もしかしてお駄賃とかそういうこと?
 買ってきてやるからその経費を出せ、ってことなのかしら!?
 彼の手のひらと目を交互に見つめ戸惑っていると、背後から深みのある声が聞こえる。振り返ると、普段は旦那様についている執事長、ジェイクが、「奥様」と呼んでいた。

「奥様、そちら、エスコートになります」
「な、なるほど……!!」

 そっと潜めるような声はおそらく旦那様にも聞こえているとは思うが、旦那様は意に介しているふうもなく、私に手を伸ばし続ける。
 これがエスコートなのか、と私は独り言ちて、彼の手を取った。
 そのまま旦那様は表情を変えることなく、私の手を握ったまま屋敷の中を歩く。
 たどり着いたのは、食堂だった。
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