側溝の天使

第27話 過去のトラウマ

翌朝、啓子が台所からポン子の朝食を私に渡しながら、



「ポンちゃんは女の子だから、そろそろ避妊手術をした方が良いのかもね」



啓子も私も犬や猫の保護活動をしていますので、これまで野良猫の避妊・去勢手術を行ってきました。大人の猫はもちろん、子猫が半年くらいになると不妊治療を行います。過酷な外の環境の中で、これ以上可哀そうな猫が増えないようにするため、また喧嘩して病気をもらったり、車に轢かれたり、カラスなどに襲われたりするのを防ぐためなのです。啓子は、ポン子を同じ目線で見ていました。



「ポンちゃんを避妊手術したら、自然に帰せなくなるよ」



「このまま我が家で飼ってやりましょうよ」



啓子が賛成するのであれば、私に懐いているポン子をこれからも飼い続けることに異議はありません。早速、中岡獣医師に連絡をしました。



「たぬきの避妊手術なんかしたことないから……おまけにワクチンの注射をした時、犬や猫と違ってとっても皮が硬かったわね」



電話の先で躊躇しているのを、



「何とかお願いできませんか?」



「じゃあ、動物に慣れている外平獣医師が立ち会ってくれるのだったら受けるわよ。多分受けてくれると思う。その前にポンちゃんの健康チェックをしますから、連れて来てくださいね」



「ハイ、よろしくお願いします。良かったです」



たたみ掛けるように電話を切りました。



すぐに中岡獣医師から、外平獣医師が立ち会いに同意してくれたとの連絡が来ました。健康チェックのためにポン子を中岡獣医師の病院へ連れていきました。ポン子は行く時はキャリーケースにすんなり入ってくれたのですが、病院の診察台でキャリーケースから出そうと私が手を差し伸べると、思い切り噛みつきました。おそらく以前ここで尻尾を針で刺された時の痛い経験が、トラウマになっているのかもしれません。結局、手の施しようがありません。



「仕方ないわね。健康チェックはやめましょう。とりあえず眠り薬を、弱いのと強いのと2種類お渡ししますから、避妊手術の前に試してみて。それと、噛みつかないようにエリザベスカラーも渡しておきますから、当日これをつけて病院まで連れてきてください」



結局、薬とエリザベスカラーをもらって帰りました。家に帰ると、ポン子はキャリーケースからすんなり出てくれました。



「よっぽど怖い思いをしたのよね」



「そうだね」



「今晩から大人しくなってくれるかどうか、眠り薬を試してみよう」



さっそく夜、いつもの食事の中に弱い方の眠り薬を混ぜてみました。ポン子は鼻をクンクンさせますが、大好きなロースハムに混ぜていたので、すんなり食べてくれました。しばらく様子を見ていると、十分以上経った頃から、じわりと効いてきたようです。乗っているハンモックから、頭がだらりとケージの床に垂れてきました。もちろん、目は開いていません。啓子に押し殺した小声で、



「寝ている間に、試しにエリザベスカラーをつけてみよう」



ケージに近づき、寝ているポン子にエリザベスカラーを付けようとした瞬間、「カッ」と目を見開き、私に噛みつきました。幸い、かすり傷程度で済みました。



「あせらずに、明日は強い眠り薬で試してみよう」



翌日、すべて前日と同じ手順で行いました。案の定、十数分経つと薬が効いてきました。ポン子の頭はハンモックからだらりと下がって、今にもケージの床に着きそうでした。心底、熟睡していると思いました。ところが、近づいてエリザベスカラーを付けようとしたその瞬間、目が開きました。



「タヌキ寝入りとはこの事かも」



啓子が呆れ返っておりました。



さすがの私も諦めざるを得ませんでした。



「ポン子は本能的に、種を守ろうとしているのだね。人間のエゴでそれを断ち切ってはいけないのかもしれない」



翌日、中岡獣医師に断りを入れました。

-続-
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