側溝の天使

第46話 別れと運命

ついに浜名湖サービスエリアまでまいりました。この浜名湖サービスエリアは恋人の聖地としてよく知られております。眼下に浜名湖が広がり、対岸の陸地も望めます。その見晴らしの良い場所に、愛の鐘が設置されております。アーチのように組まれた鉄骨の一段下にも鉄骨が通されており、その真ん中に愛の鐘が吊り下がっております。鐘の横端から紐が垂れており、恋人たちはその鐘を鳴らして愛を確かめ合います。私も啓子も一回ずつ鳴らしてみました。もちろん、ポンちゃんと元ちゃんが仲良くカップルになりますようにとの願いからでした。



一休みした後、再び車を走らせました。あと一時間ちょっとで目的地へ到着すると思うと、心がざわつきました。駐車場の高台からも、コバルトブルーの浜名湖が望めます。ポン子のトイレ休憩のために、首輪にリードをつけて駐車場内を散歩させておりました。長時間車の中にいたせいか、ポン子の足取りは重いようです。無理をさせず、ゆっくりと歩かせました。



ちょうどその時でした。小学低学年とおぼしき男の子が、急に大きな声で叫びました。

「タヌキー!」

「動物園のタヌキだー」



小走りで近づいてきました。私は、ポン子が小学生に危害を加えるといけないと咄嗟にリードを強く引っ張りました。するとポン子は首を大きく左右に振り、その刹那、スルリと頭が赤い首輪から外れました。

「あっ、ポンちゃん」



ポン子は子どもと反対の方向へ猛スピードで走り出しました。並んで駐車している車の下をくぐり抜け、山の方角へ駆け出しました。必死で走って捕まえようとしましたが、追いつけませんでした。ポン子はそのまま藪の中へと消えていきました。藪の中にも入ってさんざん探しましたが、その姿を見つけることは叶いません。落胆と、どこをどう探したらいいのか分からない不安が押し寄せてきました。啓子も必死で周囲を探しておりましたが、途方に暮れて車のそばでへたり込みました。

「仕方がない。今晩はここで一夜を明かそう」



車の中でも一睡もできませんでした。昼間はあれほど停まっていた車も、今は2台だけです。啓子も祈るような気持ちで、ポン子が現れるのを待っておりました。夜空一面に、満天の星が光り輝いております。自販機のところまで歩いて、温かいコーヒーを求め、二人で飲みました。

「せっかくここまで連れて来たのに……」



落胆した気持ちを引きずったまま、周囲を見回しました。

「ポン子はこのまま自然に帰るのかなぁ?」



もちろん答えはございません。ふと、生徒を教えていた頃のことが浮かんでまいりました。ある生徒が急に学校へ来なくなり、毎日外の野良猫に餌をやっておりました。家に行って事情を聞くと、友達から嫌がらせを受けたり、無視されたりして、いつも独りぼっちだったとのこと。何度も家を訪問したある日、その野良猫を捕獲して学校で世話することにしました。もちろん、先生方にも相談して、最終的には校長の英断を仰ぎました。するとそれまで不登校だった子が、その猫の世話をするために学校へ来るようになり、おまけに手伝ってくれる仲間もできました。結局、その子は無事卒業にこぎつけたのです。



私はそのとき、教師としての達成感を覚えました。

教師時代の思い出から我に返り、コーヒーを飲み干すと、今度はポン子と過ごした日々が懐かしくてたまらなくなりました。走馬灯のように、いろんな場面が思い浮かんでまいりました。ポン子に何とか命が助かるように頑張って欲しいと、藁にもすがる思いで祈っておりました。



携帯で久永さんへ連絡を入れました。

「せっかく近くまで来て下さったのに残念ですね。ポンちゃん、何とか見つかるように祈っています。こちらは心配しなくて良いから」

慰めて下さいました。



今晩泊まる予定だったホテルにも、キャンセルの連絡を入れました。ポン子がいなくなって、時間が止まったような気がしております。啓子も私も、次にどうしたらよいのか分かりませんでした。



外は、ようやく東の方角が明るくなり始めました。ところどころに雲が現れております。まだ他の車が入ってくる気配はございません。好きなフォークを聴いておりますと、右のミラーに何かが動く気配を感じました。慌てて窓ガラスを開けて後方を見ました。私は啓子に聞こえる程度の小声で

「あっ? ポンちゃんがこっちに」

「本当?」



ドアを開けて、そのまま閉めずに出てポン子を待ちました。足取りはゆっくりですが、確実にこちらへ向かってくれています。

「ポンちゃーん!」



声に反応したのか、ポン子の走りが少し速くなりました。私も思わず走り寄ってポン子を抱きしめました。もう涙が止まりません。啓子も車から降りて、安堵したのでしょう、頬から一筋の涙が落ちておりました。

「良かった良かった。探したのだぞ。もう会えないかと思った。よう戻ってくれたねぇ。再会できるなんて夢みたいだ」



そう言うと、また大粒の涙があふれてまいりました。

「これでやっと目的地へ行ける」



もうこれだけお話しましたら、充分でございましょう。ここで今日は中断いたします。また明日、お話の続きをいたします。

-続-
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