彼と妹と私の恋物語…結婚2週間で離婚した姉が再婚できない理由…
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しばらくして、嗚咽が少し収まったのを見計らい、秋太は抱きしめる腕の力を緩めぬまま、京子の耳元で優しく囁いた。
「…教えてほしい。柊くんは…僕の、息子なのか?」
その問いに、京子の体がびくりと震えた。
だが、もう嘘をつく力は残っていなかった。
彼女は、諦めたように小さく、しかしはっきりと頷いた。
「あなたから離れた後、ずっと体調がおかしくて…でも、ストレスのせいだと思い込んでいました」
京子は、ぽつり、ぽつりと語り始めた。7年間、誰にも明かさなかった真実を。
「食欲が全くなくて、どんどん体重が落ちていきました。7年前の私は、15kgも痩せたんです。さすがにおかしいと思って病院に行ったら…妊娠半年だと、告げられました」
もう、おろすことなんてできなかった。
「妊娠がわかってからも食欲は戻らなくて、痩せていくばかりで、お医者様も心配していました。でも、この子だけは…この子だけは絶対に守り抜くと、それだけを考えて…」
叔父である鏡順吉の助けがなければ、母子ともにどうなっていたかわからない。
「吹雪の日に、元気な男の子が生まれました。名前は…迷いませんでした。あなたが、言ってくれたから…『柊』って」
その名前に込めた想いが、秋太の胸を強く締め付けた。
「叔父が、茅野楓として生きるのは危険すぎると言って、『鏡京子』という新しい名前と…」
そこでは一度言葉を切り、秋太の腕の中で遠い目をした。すべてを捨てて逃げ出した自分を、何も聞かずに受け入れてくれた、厳しくも愛情深い叔父の顔が脳裏に浮かぶ。
「…裏ルートで手に入れた身分証明書を用意してくれました。本当は、アメリカに戻ってビジネスの世界で再起するつもりでした。でも叔父に、本当に戦うなら法を武器にしろと諭されて…国際弁-弁護士を目指したんです」
その道は、想像を絶するほど過酷だった。
お腹の子を守りながら、眠る間も惜しんで六法全書にかじりついた日々。何度も心が折れそうになったが、そのたびに、お腹を蹴る小さな命の鼓動が、楓を奮い立たせた。
語り終えた京子は、秋太の胸に顔を埋めるようにして、声を絞り出した。
「柊のことは、あなたに一生隠し通すつもりでした。でも…」
脳裏に、保育園の帰り道、小さな柊が寂しそうに尋ねてきた光景が蘇る。
『ママ、どうして柊にはパパがいないの?』
友達が父親と楽しそうに遊ぶ姿を、羨ましそうに見つめていた息子の背中。その小さな背中が、京子の心をナイフのように抉った。
「…あの子が『お父さんはどこ?』って聞くたびに、胸が張り裂けそうで…。寂しそうな顔をするあの子に、耐えられなくて…」
京子は財布から、一枚だけこっそり持ち出した秋太の写真を、柊に見せてしまったのだ。
「…あなたの写真を、見せてしまったんです。『世界で一番かっこいいパパだよ』って…」
語り終えた京子の頬を、再び静かに涙が伝った。
秋太は、その壮絶な7年間を、胸が張り裂けるような思いで聞いていた。自分への憎しみだけでなく、消せない愛の証を抱えながら、彼女はたった一人で戦い続けてきたのだ。
秋太は、京子の涙を親指でそっと拭うと、ゆっくりと彼女の体を離した。
そして、涙で濡れた彼女の瞳を、まっすぐに見つめて言った。
「…僕は離婚していない。法的に、君はまだ僕の妻だ。でも、そんなことで君の心を縛りつけようとは思わない。だから、佐藤部長と、正々堂々と勝負させてほしい」
「え…?」
驚きのあまり、京子は思わずといった体で、ゆっくりと視線を上げた。
潤んだ瞳に映ったのは、一点の曇りもない、真剣そのものの秋太の顔だった。
「法的な繋がりなんかじゃない。もう一度、君の心を、僕の方へ振り向かせてみせる。茅野楓という一人の女性の心を、宗田秋太という一人の男として、もう一度勝ち取ってみせる」
それは、彼のプライドをかけた宣戦布告だった。
そして、7年前に彼女を守れなかった男が、今度こそ対等な立場で彼女に向き合おうとする、誠実さの表れでもあった。
京子は、ただ呆然と、目の前の男を見つめることしかできなかった。
事態は、彼女が想像していたのとは全く違う方向へ、大きく舵を切り始めていた。