彼と妹と私の恋物語…結婚2週間で離婚した姉が再婚できない理由…
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「秋太くん!久しぶり!」
派手なブランドスーツに赤いハイヒール。
まるでどこかのキャバ嬢のような格好の女性・美紀。
美紀は、秋太を見つけると、華やかな笑顔で駆け寄ってきた。
「美紀さん。…本当に久しぶりだな」
秋太も懐かしそうに目を細める。
宗田ホールディングスの応接室。大口取引先である林田コンサルティングの社長秘書として現れたのが、高校の同級生、林田美紀だったことに秋太は純粋に驚いていた。懐かしさが込み上げ、思わず笑みがこぼれる。
美紀は、そんな秋太の顔をじっと見つめ、華やかな笑顔の裏に一瞬、複雑な色を浮かべた。
「副社長さんだなんて、すごいじゃない。昔、目が不自由になって苦労していたのが嘘みたい」
悪気のない口調だが、その言葉は秋太の過去の傷を無遠慮にえぐる。
「まあ、昔の話だよ。今はもう、すっかり慣れたさ」
努めて明るく振る舞う秋太に、美紀は「そう」とだけ言うと、今度は彼の左手の薬指に視線を落とした。
「結婚、してるんだ…」
「ああ。妻と、小さい息子がいる」
「そっか…幸せ、なんだね」
その声は、どこか嫉妬の色を帯びていた。
その日から、美紀の秋太へのアプローチは始まった。業務連絡を装った頻繁な電話、必要以上に馴れ馴れしいメール。「昔の話がしたい」と、執拗に食事に誘ってくる。夫である林田社長は仕事人間で、夫婦関係は冷え切っているのだと、美紀は寂しげに語った。
秋太は、取引先の社長夫人という立場もあり、無下にできずにいたが、彼女の自分に向けられる執着に近い感情には気づいていた。そして、その感情は日に日に危険な熱を帯びていくのを感じていた。
ある週末、美紀は衝動的に秋太の家の近くまで足を運んでいた。高級住宅街の一角、瀟洒な一戸建てから、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。庭で無邪気に走り回る小さな男の子。それを優しい眼差しで見守る、美しい女性。そして、息子の手を引き、妻の肩をそっと抱き寄せる秋太の姿。
そこには、美紀が渇望してやまない、温かく幸せな「家族」の風景があった。夫に愛されず、子供もいない自分。それにひきかえ、秋太は全てを手に入れている。嫉妬の炎が、美紀の心を黒く焼き尽くした。
(あんな女から、秋太くんを奪ってやる…)
その決意を胸に、美紀は最後の賭けに出た。「どうしても相談したい仕事の話がある」と、半ば強引に秋太を食事に誘い出すことに成功する。
高級ホテルのバーラウンジ。美紀はわざとらしくワインを飲み干し、酔ったふりをして秋太の肩に寄りかかった。
「秋太くん…私、もう寂しいのは嫌なの…」
上目遣いで甘える美紀を、秋太はそっと引きはがした。
「美紀さん、酔っているんだ。今日はもう帰ろう。タクシーを呼ぶよ」
「嫌!」
美紀は突然、秋太の胸に顔をうずめ、彼のネクタイを強く掴んだ。その瞬間、近くのテーブルに座っていた男が、さりげなくスマートフォンを彼らに向けた。
秋太が美紀の腕を振りほどき、その場を立ち去るまで、時間はわずか数秒。だが、美紀の目的を果たすには、それで十分だった。
数日後、楓が一人で家にいると、インターホンが鳴った。モニターに映っていたのは、林田美紀だった。警戒しながらもドアを開けると、美紀は勝ち誇ったような笑みを浮かべて、一枚の写真を突きつけてきた。
それは、まるで秋太が美紀に覆いかぶさるように見える、悪意に満ちた写真だった。
「私、秋太さんの子供を妊娠したの」
楓の表情が凍りつくのを、美紀は満足げに眺めている。
「もちろん、あなたたちをめちゃくちゃにするつもりはないわ。この子は、うちの旦那の子供として産むから。でも、さすがにタダっていうわけにはいかないじゃない?大事にしたくないなら、慰謝料として500万、用意してちょうだい」
楓は、血の気が引くのを感じながらも、ただ黙って美紀を見つめ返した。震える手で写真を受け取り、何も言わずにドアを閉める。その背中に、美紀の甲高い笑い声が突き刺さった。
その夜、帰宅した秋太に、楓はそのことを話せなかった。夫を信じている。だが、この写真を見せれば、彼がどれほど苦しみ、会社に迷惑がかかるかを考えれば、言葉を飲み込むしかなかった。楓は、たった一人でこの重圧に耐えることを決めた。
数日後。
美紀が再び楓の前に現れた。
「お金、用意できたかしら?」
ニヤッと笑う美紀に、楓は凛とした表情を向けた。
「その件に関しまして、お断りします」
「はぁ?」
「…お腹の子供が、主人の子供というなら。それを証明してください」
「なんですって?」
「その事実が証明されれば、あなたが望む通り慰謝料をお支払いします。但し、それは法廷内の金額でということです」
「あなた、自分の立場が分かっているの?旦那は、宗田ホールディングスの大口取引会社の社長よ」
腕組をして見下している美紀を見て、楓は小さく笑った。
「それが何か?」
「大口取引先を怒らせれば、会社がどうなるのか分かっているわけ?」
「どうなると?」
「倒産よ!取引中止になれば、大損害が出て当然じゃない。それに、うちの会社から他の取引先にも、宗田ホールディングスの悪評が広がって。次々と取引先を失う形になるわよ!」
まっすぐな眼差しで美紀を見つめたまま、楓は小さく息を吐いた。
「それは大変ですね。…でも、私があなたにお金を張ることは致しません。どうぞ、お好きになさってください」
この女!と、今にも言い出しそうな顔をしている美紀。
そんな美紀に、軽く一礼して楓はそのまま去っていった。
「…あの女…。まぁ、いいわ…」
フン!と鼻で笑い美紀はそのまま去っていった。
去り行きながら、楓は小さく微笑んでいた。
その手にはかすかに赤く光る何かが握られている…。
穏やかな午後。
静かに副社長室で仕事をしている秋太。
するとその静寂を破るかのように、けたたましく内線が鳴った。
「はい…え?…」
秋太が驚いたと同時に、副社長室のドアがけ破るような勢いで開いた。
「秋太さん。…責任取ってもらうわ」
「責任?」
美紀は秋太に近づくと、バン!と勢いよく机に写真を一枚叩きつけた。
「これ、あなたが私を抱いた証拠」
そう言って見せつけてきた写真には、秋太が美紀を抱きしめている姿が映っている。
あの夜。
酔った美紀を家まで食っていった時、強引に迫ってきた時の写真だ。
「これは…」
「これ、あなたが私を抱いた時の写真よ。そして、私のお腹には…あなたの子供がいるの」
「はぁ?それはあり得ないだろう。そんな事実はまったくないのだから」
「そうかしら?この写真が旦那や週刊誌に渡ったらどうなるかしら。あなたの会社、大変なことになるんじゃない?」
「…事実じゃないことで、僕を脅すつもりか」
秋太の冷静な声に、美紀は一瞬怯んだ。
「何を言われても、僕は屈するつもりはない」
「いいの?そんなこと言って。このこと、奥さんに話すわよ。お子さんにも知られても、いいのかしら?」
「家族を巻き込むな!君がそこまでやるなら、僕も容赦はしない」
「そう、じゃあ旦那に言って取引を中止してもらうわ」
「好きにしたらいい。そんなことで、この会社はどうにもならない」
秋太は毅然と言い放ち、美紀に背を向けた。
彼の予想外の強い態度に、美紀は唇を噛み締め、悔しさに顔を歪ませながら副社長室を出ていくしかなかった。
だが、これで終わりではなかった。
翌日、社長秘書を通じて、アポイントメントの連絡が入る。
相手は、林田コンサルティング社長、林田翔だった。