彼と妹と私の恋物語…結婚2週間で離婚した姉が再婚できない理由…
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「叔父様、夜分に申し訳ありません。先日のお話ですが…」
楓は、覚悟を決めて言った。
「お受けします。行かせてください」
電話の向こうで、叔父が静かに息をのむのがわかった。
「…そうか。秋太くんのことは、いいのか?」
その問いに、楓は窓の外で遊ぶ柊と秋太の幸せそうな姿を思い浮かべた。自分が消えれば、秋太はきっと新しい、彼にふさわしいパートナーを見つけるだろう。その方が、二人にとって幸せなのだ。
「ここにいては…私は、あの人を苦しめるだけです。私がいない方が、きっと、あの人も柊も幸せになれる…そう思うんです」
電話の向こうで、叔父が静かにため息をつくのがわかった。
「…お前の決意が固いなら、止めはしない。手続きは進めておこう」


その日から、楓の葛藤は始まった。秋太が柊を高い高いして笑っている。その光景が幸せであればあるほど、自分の居場所ではないと感じてしまう。
(私がいてはダメだ。この幸せを、私が汚すわけにはいかない…)
夜ごと、眠れずにリビングで一人、膝を抱える。秋太は、そんな楓の様子に気づいているようだった。時折、心配そうに声をかけてくるが、深くは追及しない。その優しさが、かえって楓の心を締め付けた。彼は気づかないふりをして、楓が自分で立ち直るのを待ってくれているのだ。だが、もう、その優しさに甘えることはできなかった。

数日後の深夜。楓は、書斎で離婚届用紙を前に、ペンを握りしめていた。柊の寝顔、そして秋太の優しい笑顔が脳裏に浮かび、何度も手が止まる。一筋の涙が、用紙の上にぽたりと落ちた。
(ごめんなさい、あなた。ごめんなさい、柊…)
心の中で何度も謝りながら、震える手で自分の名前を書き記した。これでいい。これが、私が二人にしてあげられる、唯一のことなのだから。

冷たい空気が肌を刺す、冬の深夜。署名捺印した離婚届を秋太の書斎の机にそっと置き、楓は小さなスーツケース一つを手に、静かに家を出た。最後に、柊の眠る子供部屋のドアを少しだけ開ける。すうすうと安らかな寝息を立てる我が子の額に、そっと別れのキスを落とした。
「…ごめんね」
絞り出した声は、誰にも聞こえないほど小さかった。

タクシーの窓から見える我が家が、あっという間に小さくなっていく。涙は出なかった。ただ、胸にぽっかりと大きな穴が空いたような、途方もない喪失感が広がっていた。走馬灯のように、秋太との思い出が蘇る。ぶつかり合ったこと、誤解したこと、そして、心を通わせた瞬間。その全てが、今は愛おしく、そして鋭い痛みとなって胸を刺す。

まだ夜明け前の空港は、がらんとしていて、自分の足音だけがやけに大きく響いた。無人のチェックインカウンターが並ぶ光景は、まるで自分の心の内のようだった。これで全てが終わる。そう思った、その時だった。

「楓」

その声を聞いた瞬間、楓の心臓が凍りついたかのように止まった。いるはずがない。聞こえるはずがない。幻聴だと思いたかった。だが、ゆっくりと振り返った先には、息を切らし、見たことのないほどに真剣な、悲痛な表情を浮かべた秋太が立っていた。

「な…ぜ…。どう、して…ここに…?」
声が、震える。足がすくんで、一歩も動けない。まるで、罪を犯した犯人が、逃げ切れないと悟った瞬間だった。
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