クズ御曹司の執着愛

クズ男と呼ばれても

社長就任祝賀パーティーの会場であるホテルに、伊織は来ていた。
滝沢颯真の新社長就任を祝うために設けられた華やかな宴。

この日のために、ドレスコードに沿って選んだ濃紺のカクテルドレス。
光沢を帯びた生地は上品で、半袖、ひざ丈のシルエットが伊織の年齢にも馴染んでいる。
高すぎないハイヒールに、母親の形見であるパールのネックレスとおそろいのイヤリング。
鏡の前で最後に息を整えたとき、心の奥で小さなざわめきを感じた。

ハイヒールを履いても、伊織はせいぜい一六二センチほど。
見渡す会場には、誰もが自信に満ちた笑顔を浮かべ、煌めく衣装を纏っている。
背筋を伸ばして歩きながら、伊織はその中にひとり立つ自分を意識せずにはいられなかった。

「森田さん」
低い声に振り向くと、そこには滝沢颯真の父親であり、会長の真樹が立っていた。
黒のタキシードに身を包み、威厳と余裕を漂わせながらも、目元には柔らかい笑みがある。

「今日は来てくれてありがとう」

「とんでもありません。こちらこそ、お招きいただいて……」

真樹は軽くうなずき、会場を見渡した。
「颯真のためにも、心強い人に来てもらいたかった。次のプロジェクトのこともあるし……森田さんの力を借りられるのを楽しみにしている」

そう言ってから、真樹は少し声を張った。
「不動産部門を担当している人物を紹介しよう。……忠相、こちらへ」

人混みの向こうから、ゆっくりと一人の男が歩み寄ってくる。
その存在感に気づいた瞬間、伊織は息を呑んだ。

「久しぶりだな、伊織」

低く響く声。嘲るような笑み。
思わず言葉がこぼれた。
「……どうして、あなたが」

真樹が静かに言葉を添える。
「私の従弟の沢口忠相だ。会社の不動産部門を任せている。聞けば、大学の同級生だったとは。……森田さん、よろしく頼むよ」

心臓が乱れる音をごまかすように、私は頭を下げる。
「……かしこまりました」

「じゃ、私はこれで」
真樹は軽やかにその場を離れていった。
残された空気が、急に重たく沈む。

真樹が去ったあと、残された空気は一気に重たくなった。

「……二十年ぶり、か」
忠相がグラスを指先で弄びながら、私を真っすぐに見下ろす。
「元気だったか? インテリアコーディネーターをしてるんだってな」

「……うん。そう」

「夢が叶ったんだな」

思わず瞬きをした。
「え?」

「大学の授業のあと、夜間に専門学校へ通ってたろう。覚えてるよ」

驚きに、言葉を失う。
「……知ってたんだ」

「ああ」
忠相の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
「あの頃から本気でやってた。だから、きっと成功するだろうなって」

その言葉が、胸の奥をわずかにざわつかせる。
けれど同時に、あの夜の記憶が冷たい影のように重なり、素直に受け取ることはできなかった。

その言葉に、胸の奥がかすかにざわついた。
けれど伊織は表情を整え、グラスをテーブルに戻した。

「……ありがとう」

あえて丁寧な言葉を選び、会話を切り上げようとした。
ここは祝賀の場。
過去のことも、心の揺らぎも、持ち込むわけにはいかない。

「では、私はこの辺で」
軽く会釈をして歩き出そうとした瞬間、忠相の声が背中にかかった。

「……似合っている」

思わず振り向く。
忠相の視線が、私の濃紺のドレスに絡みついていた。
「そのドレス、すごく似合っている」

言葉を失い、私は黙り込んだ。
会場のざわめきが遠のき、視線をそらすこともできない。

忠相が小さく笑みを浮かべ、低く言った。
「……やっぱり、お前は相変わらず俺に興味がないんだな」

忠相はグラスを置き、ゆっくりと一歩近づいてきた。
「滝沢会長が言った通り、お前は俺と働くことになる。それも長期で、だ」

視線が絡む。彼の声は低く、どこか楽しんでいるようだった。
「ここらでそろそろ、親睦を深めないか?」

喉がひりつく。
これは仕事の話なのか、それとも……。
伊織は返事に迷い、言葉をのみ込んだ。

どう返そうかと思った、その時。

「伊織?」

耳に届いた懐かしい声に、胸が一瞬で熱くなる。
振り向くと、そこには。
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