クズ御曹司の執着愛

エピローグ

 「よしっと」

 伊織がペンを置いた、その瞬間だった。

 玄関の扉が開く音がする。

 思考より先に身体が動いていた。
 はしたないと思いながらも、伊織は玄関へ向かって走る。

 「ただいま」

 そこに立っていたのは
 会いたくてたまらなかった、忠相だった。

 伊織は思わず、彼の胸に飛び込む。

 「……おかえりなさい!」

 「ずいぶん熱烈な歓迎だな」

 忠相は嬉しそうに笑い、伊織を受け止めた。

 「明後日に帰ってくるんじゃなかったの?」

 「予定が変更になってな。向こうに滞在する理由がなくなったんだよ」

 その言葉を聞いた途端、伊織の身体からふっと力が抜ける。
 そのまま忠相に体を預けた。

 「おいおい、大丈夫か?」

 「うん……ほっとしたの。いろいろ、あってね」

 伊織はそう言って、笑う。

 「伊織。体調が大丈夫なら、一緒に行ってほしいところがあるんだ」

 「帰ってきたばかりで、いいの?」

 「ああ」

 一瞬の間。

 「……私もね、一緒に行ってほしいところがあるの」

 「そうか」

 忠相は少しだけ目を細めた。

 「じゃあ、準備するか」

 「ちょっと待って。お化粧してくる」

 「俺も着替えるかな。少しカジュアルにするか」

 忠相が寝室へ向かう背中を見送ってから、
 伊織はテーブルの上の婚姻届を手に取る。

 ためらいはない。

 それをそっとハンドバッグに滑り込ませた。

 しばらくして、伊織がリビングへ戻ってくる。

 「お待たせ。行きましょうか」

 「ああ」

 二人は自然に手をつなぎ、エレベーターへ向かった。

 これから向かう先がどこであれ、
 もう、並んで歩く場所は決まっている。

 「忠相は、どこに行きたいの?」

 エレベーターの中で、伊織が尋ねた。

 「結婚指輪を取りに」

 即答だった。

 「……伊織は?」

 伊織は少しだけ微笑み、ハンドバッグを開く。

 「区役所に」

 そう言って、書類を取り出す。

 忠相は目を見開き、それから、ゆっくりと息を吐いた。

 「……じゃあ、まずは区役所だな」

 「うん」

 その日、二人は晴れて夫婦になった。



 手続きを終え、その足でジュエラーへ向かい、用意されていた指輪を受け取る。
 そして、何も言わないまま、二人が再会したあのホテルへ向かった。

 エレベーターは、静かに最上階へと上がっていく。

 忠相も、伊織も、言葉を発しない。
 ただ、つながれた手の温度だけが、確かだった。

 部屋に入ると、忠相は伊織の手を引き、窓辺へ導く。

 夜景を背にした伊織の前で、忠相は静かに片膝をついた。

 「森田伊織さん」

 忠相は、伊織を見上げたまま続けた。

 「君は、俺の人生を変えてくれた唯一の女性です」

 一拍置いて、はっきりと言う。

 「二十年前と変わらず、今も君を愛している。
 君だけが欲しい」

 迷いも、飾りもない声だった。

 「この先もずっと、君だけを愛すると誓う。
 結婚してください」

 二十年前のことが、ふいに胸に蘇った。

   どんなプロポーズがいい?
 そう忠相に聞かれて、伊織は照れながら答えたのだ。
   中世の騎士みたいに、跪いてほしいって。

 伊織は、頬を伝う涙をそのままに、忠相を見つめた。

 「……それも、覚えていてくれたの?」

 返事の代わりに、忠相が静かに微笑む。

 「あなたを愛しています。よろしくお願いします」

 忠相が立ち上がる。

 二人は向かい合い、指輪を交換した。
 指先が触れ合うたび、確かめるように視線が絡む。

 忠相は伊織を抱きしめ、低く囁いた。

 「伊織、ありがとう」

 「……忠相。私のほうこそ、ありがとう」

 伊織は彼の首に両腕を回し、つま先立ちでそっと口づける。
 忠相も応えるように、幾度か優しくキスを重ねた。

 呼吸が近くなる。

 伊織は忠相の目をまっすぐに見て、静かに言った。

 「……あなたが欲しい」

 忠相は何も言わず、ただ伊織を抱き上げる。
 そのまま、奥のベッドルームへと歩いていった。

 扉が閉じる。

 暗がりの中で、伊織の指輪のダイヤモンドが静かに輝く。
 刻印された Totus tuus T to I(忠相から伊織へ) 「あなたに、すべてを捧げる」

 その先にある時間は、
 もう言葉にしなくても、二人には十分だった。
< 65 / 65 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:0

この作品の感想を3つまで選択できます。

  • 処理中にエラーが発生したためひとこと感想を投票できません。
  • 投票する

この作家の他の作品

秘めた恋は、焔よりも深く。

総文字数/190,535

恋愛(純愛)153ページ

ベリーズカフェラブストーリー大賞エントリー中
表紙を見る 表紙を閉じる
――大人になったからこそ、出逢える愛がある。 仕事一筋で生きてきた佐倉美咲。 恋に臆病になり、心の奥を閉ざしてしまった彼女が参加することになったのは、 「カップル限定」のグランピング体験。 しかも同行者に選ばれたのは、上司であり、近寄りがたい男――黒瀬龍之介だった。 焚火の炎、満天の星空、そして静かな夜。 ふたりの間に流れる沈黙が、なぜか居心地のよいものに変わっていく。 「おいで、美咲」 そう囁かれた瞬間、凍りついていたはずの心がほどけ、彼の腕の中へと導かれていった。 しかし、燃え上がった恋は同時に、嫉妬や独占欲という激しい炎を呼び覚ます。 「信じてほしい」 「誰にも渡さない」 ――二人の想いは衝突し、ときにすれ違い、痛みを伴いながらも、 やがて焔よりも深い愛へと育まれていく。 大切だからこそ不器用にぶつかり合い、 強く求め合うからこそ、甘く溺れていく。 大人になって初めて知る、 本当にやさしく、本当に激しい愛のかたち。 恋を「恐れていた」二人が、 愛を「諦めることなく」紡いでいく、 運命のラブストーリー。

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア

pagetop