忘れられない瞳の先で

第11章「秘密の横顔」

 その夜も残業で遅くなった。
 消灯が進むフロアの中を、私は資料を抱えて歩いていた。
 静まり返った廊下には、蛍光灯の白い光がぽつりぽつりと灯っている。

 角を曲がったとき、不意に声が聞こえた。

「拓也くん、どうしてそんなに冷たいの?」

 由梨の声だ。
 足を止め、思わず壁の影に身を隠す。

 会議室のガラス越しに見えたのは、由梨が拓也の腕にすがるように立っている姿だった。
 長い髪を揺らし、潤んだ瞳で彼を見上げている。

「私……拓也くんのこと、ずっと好きだったのよ」
「由梨……」

 彼の低い声が聞こえ、胸が締め付けられる。
 その表情までは見えない。
 でも、由梨に向けられた横顔は、私の知らない秘密を抱えているように見えた。

「ねえ……私じゃダメなの?」

 由梨がそっと彼の胸に手を置く。
 ガラス越しの光景は、あまりにも親密で。
 涙がにじみ、視界が揺れた。

 ――やっぱり。
 拓也にとって特別なのは、私じゃない。

 資料を抱きしめる腕に力がこもる。
 その場から逃げ出したいのに、足が動かない。
 けれど、もうこれ以上見てはいけない。

 私は静かに背を向け、廊下を駆け出した。
 誰にも気づかれないように。
 ――胸に広がる痛みを、必死に隠しながら。
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