忘れられない瞳の先で

第14章「崩れた仮面」


 週末の夕方、残業を終えて帰ろうとしたときだった。
 社屋を出ると、雨上がりのアスファルトが街灯に濡れて輝いている。
 ふと耳に届いた笑い声に、思わず足を止めた。

 視線を向けた先にいたのは――由梨。
 その隣には、営業部でも評判のある別の男性社員がいた。
 彼女は艶やかな笑みを浮かべ、その腕に自分の手を絡めている。

「ほんと、拓也くんには黙っててね。あなたと過ごす時間の方が、よっぽど楽しいんだから」

 囁く声がはっきりと聞こえ、息が詰まる。
 私の知っている由梨の姿と、あまりに違っていた。
 いつも拓也の隣で誇らしげに笑っていた彼女が、別の男性に甘えるなんて――。

「……」

 頭が真っ白になる。
 信じていた噂が、一瞬で崩れ落ちていく。
 由梨と拓也が恋人同士だという言葉。
 その根拠が、いま目の前で否定されたのだ。

 けれど同時に、胸の奥がざわめいた。
 もし由梨が拓也の恋人ではないのなら――私は、いったい何を信じてきたのだろう。

 動揺で足がすくむ中、背後から声がした。

「……片山?」

 振り返ると、そこには拓也が立っていた。
 視線の先には、まだこちらに気づいていない由梨と男性社員の姿。
 拓也の瞳が険しく細まり、冷たい光を宿す。

「今の……見たか」
「……はい」

 小さく頷くと、拓也は拳を固く握りしめた。
 その横顔は怒りに揺れていたが、どこか安堵の色も混じっているように見えた。

「やっと……分かったな」

 低く呟いた彼の声に、胸が強く波打つ。
 何が真実で、何が嘘なのか。
 揺らぎ始めた仮面の下にあるものを、私は確かめずにはいられなかった。
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