秘密の婚約者は冷徹専務 ―契約から始まる社内トライアングルと、切ない溺愛―
契約の真実
四月下旬。
新卒入社したばかりの白木鈴子は、慣れない秘書課で仕事を覚えるのに精一杯だった。
電話応対、来客案内、資料整理。ひとつひとつ手順を頭に叩き込みながら、何とか失敗だけはしないようにと神経を尖らせていた。
(まだ三週間目……。先輩たちみたいに自然にできない。もっと、もっと覚えなきゃ……)
昼休み、そっとため息をついたそのときだった。
人事担当からメッセージが届く。
――「専務室に来るように」と。
(ちょ、ちょっと待って……専務?人事からってことは……我孫子雄大専務のこと?あの御曹司の!?)
胸がざわつく。理由も告げられていない。
(私、何か失敗したっけ……?資料の提出ミス?電話の取り次ぎ……?いや、あの件は……)
鼓動が早くなるのを押さえながら、重厚なドアの前に立った。
ノックする指先がわずかに震える。
「――失礼します」
扉を開けた瞬間、空気が変わった。
静かで広い執務室。奥のデスクで長身の男がペンを止め、顔を上げた。
「――白木鈴子だな」
低く響く声に、背筋がピンと伸びる。
次期総裁候補と噂される専務、我孫子雄大。冷徹と評判の人物。
雑誌に載っていたその姿を思い出す。実物はもっと圧がある。
「は、はい……」
「座れ」
短い命令。促され、緊張で固まったまま椅子に腰を下ろす。
雄大は書類を閉じ、まっすぐに鈴子を見た。
(何?なんで?私、何をしたの……?)
「突然呼び出したのは他でもない」
雄大は淡々とした声で言った。
「――お前に“契約婚約者”になってもらいたい」
「……はい?」
思考が止まる。
耳慣れない言葉に、声が裏返った。
「け、けいやく……こん、こんやくしゃ……?」
雄大は表情を動かさずに続ける。
「私は今、社交の場で“婚約者”を求められている。だが政略も愛もごめんだ。だから契約だ」
(な、何を言っているのこの人は……?婚約?契約?私に……?)
鈴子の口から、ようやく言葉が出た。
「ちょ、ちょっと待ってください!なぜ私に……」
雄大のまなざしがわずかに細くなる。
「調べさせてもらった。白木家は多額の借金を抱えているそうだな」
「――っ!」
全身から血の気が引く。
誰にも言えずにいた家の事情。それを、この人はもう知っている。
(どうして……どうして知ってるの……?)
雄大の瞳は氷のように冷たく、しかしどこか計算高い光を宿している。
「心配するな。契約を受けるなら、借金はすべて私が肩代わりする」
「そんな……」
「お前は口が堅そうだ。秘書課に配属されたことも都合がいい。……だから選んだ」
鈴子は唇を噛みしめた。
逃げ道など最初からない。
(……これ、脅し?でも、家族が……お母さんが……弟の学費も……)
「……もし断ったら?」
雄大の声がわずかに低くなる。
「家族ごと、借金に押し潰されるだろうな」
残酷な言葉に心臓が跳ねる。
だが、家族を守れるなら――。
鈴子の喉がからからに乾く。
しばらく沈黙した後、震える声で答えた。
「……わかりました。承諾します」
雄大の口元がわずかに動く。
「賢明な選択だ。今日からお前は、俺の“極秘婚約者”だ。ただし――この契約には二つのルールがある」
「二つのルール……?」
「一つ、公の場では俺の婚約者として振る舞うこと。二つ、社内では決してその素振りを見せず、他人を装うこと。……破れば即座に契約は終了だ」
鈴子は深く息をのみ、うなずいた。
(終わった……もう後戻りはできない……)
――こうして、誰にも言えない秘密の二重生活が始まったのだった。
新卒入社したばかりの白木鈴子は、慣れない秘書課で仕事を覚えるのに精一杯だった。
電話応対、来客案内、資料整理。ひとつひとつ手順を頭に叩き込みながら、何とか失敗だけはしないようにと神経を尖らせていた。
(まだ三週間目……。先輩たちみたいに自然にできない。もっと、もっと覚えなきゃ……)
昼休み、そっとため息をついたそのときだった。
人事担当からメッセージが届く。
――「専務室に来るように」と。
(ちょ、ちょっと待って……専務?人事からってことは……我孫子雄大専務のこと?あの御曹司の!?)
胸がざわつく。理由も告げられていない。
(私、何か失敗したっけ……?資料の提出ミス?電話の取り次ぎ……?いや、あの件は……)
鼓動が早くなるのを押さえながら、重厚なドアの前に立った。
ノックする指先がわずかに震える。
「――失礼します」
扉を開けた瞬間、空気が変わった。
静かで広い執務室。奥のデスクで長身の男がペンを止め、顔を上げた。
「――白木鈴子だな」
低く響く声に、背筋がピンと伸びる。
次期総裁候補と噂される専務、我孫子雄大。冷徹と評判の人物。
雑誌に載っていたその姿を思い出す。実物はもっと圧がある。
「は、はい……」
「座れ」
短い命令。促され、緊張で固まったまま椅子に腰を下ろす。
雄大は書類を閉じ、まっすぐに鈴子を見た。
(何?なんで?私、何をしたの……?)
「突然呼び出したのは他でもない」
雄大は淡々とした声で言った。
「――お前に“契約婚約者”になってもらいたい」
「……はい?」
思考が止まる。
耳慣れない言葉に、声が裏返った。
「け、けいやく……こん、こんやくしゃ……?」
雄大は表情を動かさずに続ける。
「私は今、社交の場で“婚約者”を求められている。だが政略も愛もごめんだ。だから契約だ」
(な、何を言っているのこの人は……?婚約?契約?私に……?)
鈴子の口から、ようやく言葉が出た。
「ちょ、ちょっと待ってください!なぜ私に……」
雄大のまなざしがわずかに細くなる。
「調べさせてもらった。白木家は多額の借金を抱えているそうだな」
「――っ!」
全身から血の気が引く。
誰にも言えずにいた家の事情。それを、この人はもう知っている。
(どうして……どうして知ってるの……?)
雄大の瞳は氷のように冷たく、しかしどこか計算高い光を宿している。
「心配するな。契約を受けるなら、借金はすべて私が肩代わりする」
「そんな……」
「お前は口が堅そうだ。秘書課に配属されたことも都合がいい。……だから選んだ」
鈴子は唇を噛みしめた。
逃げ道など最初からない。
(……これ、脅し?でも、家族が……お母さんが……弟の学費も……)
「……もし断ったら?」
雄大の声がわずかに低くなる。
「家族ごと、借金に押し潰されるだろうな」
残酷な言葉に心臓が跳ねる。
だが、家族を守れるなら――。
鈴子の喉がからからに乾く。
しばらく沈黙した後、震える声で答えた。
「……わかりました。承諾します」
雄大の口元がわずかに動く。
「賢明な選択だ。今日からお前は、俺の“極秘婚約者”だ。ただし――この契約には二つのルールがある」
「二つのルール……?」
「一つ、公の場では俺の婚約者として振る舞うこと。二つ、社内では決してその素振りを見せず、他人を装うこと。……破れば即座に契約は終了だ」
鈴子は深く息をのみ、うなずいた。
(終わった……もう後戻りはできない……)
――こうして、誰にも言えない秘密の二重生活が始まったのだった。