婚約解消されたので温室の管理人になったら、眠れない王子の居眠り番になりました。
第三章 ラベンダーは思い出の香り

第21話 あの日の夢


 十三年前のあの日。
 いつもと変わらない日だった。少なくとも、ダリウスはそう思っていた。

 枝葉の隙間から木漏れ日が差し込む中庭で、毎日の日課となっているお茶の時間。
 一緒にお茶をする相手は、第二王妃のオリビアだ。
 もともと舞台女優だった彼女は、国王に見初められて王宮に入ることになった。
 豊かな金髪は舞台の上で誰よりも輝いていて、しっとりと相手を見据える紫色の瞳は誰をも虜にした。
 彼女の魅力は見た目だけではなく、演技においても群を抜いていた。
 どんな淑女にも悪女にも化けられる彼女は、舞台の上でひときわ輝くスターで、そんな姿が国王を惹きつけたのだろう。

 母親を早くに亡くしているダリウスは、母の温もりを知らなかった。
 だからオリビアに母の面影を探して懐き、そしてオリビアもそんなダリウスのことを気にかけてくれていた。
 それが偽りだとも知らずに。

 いつものようにオリビアの淹れたお茶からはほのかな香りが漂っていた。いつもと同じお茶は木漏れ日により輝いて見える。
 お茶よりも濃い、優しい香りがオリビアから感じる。彼女はいつも故郷の香水をつけているという。その香りを嗅いでいると、昔の思い出がよみがえるからと言っていた。

 ティーカップが渡される。
 カップを手に取り、それに口をつける直前、オリビアがやけに緊張した面持ちでダリウスを見ていることに気づいた。
 不思議に思いながらもダリウスが一口飲んだとき、突然オリビアの手が伸びてきてカップを奪われた。
 彼女はそのままお茶を一気飲みした。
 
「お義母様?」
「私を、そう呼ばないでちょうだい」

 心配して掛けた声は、冷たい声に阻まれてしまった。
 いつも笑いかけてくれる紫の瞳は凍りついたように冷たかった。

 オリビアの手が震えて、ティーカップが床に落ちる。
 口を押さえた彼女は苦しそうな顔をしている。
 咽いたオリビアの手の隙間から、やけに赤いものが流れていく。

 心配して近づいたダリウスの腕を、オリビアが掴んだ。
 そのまま近くまで引っ張られたかと思うと、口の中に何かを入れられる。
 液体のようなもので、飲み込むと少し苦かった。

「……ダリウス。私のことは忘れなさい」

 掠れた声で告げるオリビアは、やはり厳しい眼をしている。
 不意に体を突き飛ばされる。
 先ほどよりも苦しみだしたオリビアの紫の瞳にあった光が、木漏れ日とともに消えていく――。

 あの、紫色の瞳。誰よりも優しかったのに、突然豹変した彼女の瞳。
 その瞳を、どうしても忘れることができなかった。

 ダリウスもそのあと、すぐに意識を失った。
 そして目を覚ましたときには、第二王妃オリビアは罪人と呼ばれていた。


    ◇◆◇


(また、あの日の夢か)

 悪夢から目を覚ましたら、まだ外は暗かった。
 当然だ。いまは夜中なのだから。
 久しぶりにベッドの上で眠れたと思ったら、当然のようにいつも見る悪夢を見てしまった。

(……くそ)

 ダリウスはここ数日、まともに眠れていなかった。
 十三年間ほぼ毎日、寝る度に悪夢を見る。そのせいで睡眠が十分とれていないのだ。
 悪夢を見ないで眠れたのは、あの温室で彼女に会ったときぐらいだった。

(……そろそろ限界だ。久しぶりに、温室に行ってみるか)

 彼女に正体を知られたパーティーから数日が経っていた。
 その間まったく時間がなかったわけではない。ただ、ダリウスの足が遠のいてしまっていた。行こうと思えばいつでも行けたのにもかかわらずに。

(……オレは、どうしようもないほど意気地なしだな)

 第一王子だということを隠して、ずっと彼女の許に通っていたのはダリウス自身だ。それなのに、彼女に嫌われてしまっていないかと恐れているのも自分だった。




(……はあ。エルザさんに会いに行こうとしたら、この人に会うとはな)

 政務が終わり、そろそろ空も陰り始めていた時間だった。
 夏だから陽が沈むのは遅く、いまはもう十八時を過ぎたところだ。
 目の前から来た人物は邸に帰るところだろうか。

「おや、第一王子殿下。これからどこかに出かけられるのですか?」

 そう声を掛けてきたのは、ランドルフ・レミンティーノ大公だった。

 ハーヴィニアン王国には、二人の王子がいる。
 第一王子のダリウスと、王位継承権を持たない名前だけの皇族の第二王子だ。
 五歳年下の第二王子は、第二王妃オリビアと国王との息子なのだが、十三年前の事件により王位継承権を失っている。
 そのため、王弟であるランドルフが現在の第二王位継承者だった。

 ランドルフは多くの人から慕われるほど人望が強く、ダリウス自身も幼いころ叔父である彼のことを慕っていた。
 だけど十三年前の事件以降、誰も信じられなくなったダリウスはランドルフとも距離を置くようになった。
 いまは親しくしてくれていても、いつか牙を向けてくるかもしれない。

(……叔父様は、そんな人ではないのに)

 わかっていても、どうしても疑ってしまう。

「最近、またお疲れの様子ですね。もし眠れないのであれば、昔みたいに子守唄を歌っても……」
「冗談はよしてくれ。もうそんな歳ではない」

 からかうようなランドルフの言葉からは嫌味を感じない。

「これは失礼しました。なにはともあれ、お身体は大事になさってください」
「ああ、お気遣い感謝する。では、オレは先を急ぐからな」

 ランドルフとの短い会話を終えると、ダリウスは急ぎ足で温室に向かった。
 なぜか一刻も早く、エルザに会いたかったからだ。
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