婚約解消されたので温室の管理人になったら、眠れない王子の居眠り番になりました。

第37話 思い出の香り


 ランドルフが近衛騎士に連行された後も、ダリウスはずっと厳しい顔で扉をにらみつけていた。
 その表情を見ていると、エルザの胸まで苦しくなってくる。
 
 信じていた人から、ずっと命を狙われていたのだ。
 彼の表情がこわばるのも理解できる。
 でも、だからこそ、いまはリラックスしたほうがいいだろうと、エルザはそっとダリウスに近づいた。

「ダリウス殿下……いいえ、ダリさん」

 あえてかしこまった言葉ではなく、いつものように気安く声をかける。
 ハッとした様子で、ダリウスがこちらを向いた。

「……あ、ああ、エルザさん」

 張り詰めていた瞳に光が戻り、ダリウスがうっすらと笑う。
 どこか無理して笑っているダリウスの姿に、エルザの胸が痛んだ。
 ここでエルザまで悲観的になっていたらいつまで経っても空気が重いままだ。
 再び声をかけようと口を開く前に、緊張の糸が緩んだのか、ダリウスの体がゆっくりと倒れてくる。

「ダリさん?」

 危うくもダリウスを受け止めたエルザが声をかけるが、帰ってきたのはすぅすぅという寝息だけだった。

 ここ数日眠れていなかったみたいだからできればこのまま寝かせてあげたいが、ずっとこの状態というわけにはいかない。
 うろたえていると、壁際に待機していたエドウィンが近づいてきた。

「殿下は、私がお預かりします」
「……いえ、大丈夫です」

 エドウィンの提案に少し迷ったが、エルザは首を振った。

「殿下は、最近眠れてなかったみたいですね」
「はい。伯爵令嬢が逮捕されたと聞いてから徹夜をしていたようです」
「それなら、少しこうしています」

 エドウィンに協力してもらい、ソファーまで移動してエルザは腰かける。膝の上にダリウスの頭が来るように寝かせる。
 すぅすぅ寝息を立てているダリウスの寝顔を眺めていると、弟のことを思い出した。そっと黒髪に手を伸ばしたが、さすがに撫でるのはやめたほうがいいと思って手を引っ込める。

(少しでも疲れが取れるといいけど)

 オリビアの日記やランドルフの調査などで、ダリウスはずっと緊張続きだったはずだ。
 目の下の隈がさらに濃くなっているのがその証拠だろう。

(まさか、ロージー様が大公殿下の娘だったなんて)

 オリビアの日記を読んでから、予想外のことばかり起こっている。
 エルザが捕まったのもそうだし、ローズマリーのまさかの出自にめまいさえした。

(自分の娘に平気で毒を飲ませようとしたなんて、信じられないわ)

 ランドルフの話に怒りが込み上げたが、エルザが踏み込んでいい話ではなかったのでぐっと耐えた。
 エルザができるのは、いまはダリウスの寝顔を見守ることぐらいだろう。



「……あ、エルザさん」

 一時間ほどすると、ダリウスが目を覚ました。
 カレンデュラのような瞳で瞬きすると、正面にあるエルザの顔に驚いたように飛び起きる。
 周囲を見渡して自分の状態を確認したダリウスは、気まずそうな顔でゆっくりと立ち上がり、頭を下げた。

「わ、私に頭を下げるなんて……!」
「いいんだ。王族のしがらみに巻き込んでしまったお詫びと、その……君の膝で寝てしまったお詫びがしたい」
「膝枕は好きでしたことですから!」

 そのまま寝かせているよりかは膝のほうがいいと思っただけだ。弟も小さいころは遊び疲れてよく母やエルザの膝の上で寝ていたから。

「弟を膝枕しているようなものですから」
「……弟か。エルザさんがそう言うのであれば」

 目を覚ましたダリウスの姿を見て、エドウィンが近づいてくる。

「先程騎士団から連絡があり、ミツレイ伯爵令嬢の釈放が正式に決まりました」
「家に帰れるのですか!?」
「はい。この度は騎士団の早計な判断により身柄を拘束してしまい、誠に申し訳ございません」

 今度はエドウィンに頭を下げられてしまった。
 騎士たちはただ任務に忠実だっただけだ。突然の拘束に思うところがないわけではないけれど。

(……でも、お父さんとお母さんに会えるわ)

 逮捕されている間、ずっと両親のことばかり考えていた。早く顔を見せて安心させたい。
 すぐ家に帰ろうかと思ったが、その前に温室の様子が気になった。

「これからご自宅までお送りしたいのですが」
「その前に、温室に寄ってもいいですか?」

 エルザが捕まったことを、庭師のみんなは知っているだろうか。
 一度顔を出して、安心してもらいたかった。

「オレが送っていく」
「ダリさんもお忙しいのではありませんか?」

 エルザの言葉に、ダリウスは首を振った。

「少しぐらいなら大丈夫だ。エルザさんのおかげで、久しぶりにぐっすり眠れたからな」

 ダリウスの目の下の隈は変わらず濃いままだ。でも、ランドルフと会話していた時の張りつめた感じはなくなっていて、笑顔も自然だった。

「わかりました。ついでに、カモミールをご用意しますね」



 昼過ぎの空は快晴で、久しぶりに日差しを浴びたからか、すぐに汗が滲んだ。

 温室の管理人室の前まで来ると、ジョセフとジェイソンがいた。
 エルザの姿に気づいたジョセフが、目を輝かせて近づいてくる。

「管理人さん! 逮捕されたって聞いて、心配していたんだよ」
「ジョセフさん。心配をおかけしてすみません。どうにか潔白が証明されて、帰ってくることができました」
「それは良かった! ジェイソンさんも先程帰ってきたばかりなんだ」

 ジョセフの話によると、ジェイソンはずっと黙秘を貫いていたらしい。
 
「どうやら管理人さんが犯人じゃないかとしつこく聞かれたらしいよ。だから黙っていたんだって」
「ジェイソンさん……!」
「嘘を吐くのは性に合わん」 

 ジェイソンはフンっと鼻を鳴らしてすぐにそっぽを向いてしまったが、きっと心配してくれていたのだろう。
 苦笑しながらも、エルザは二人にお礼を言う。

「ありがとうございます。あと、心配をかけてすみません」
「管理人さんが無事でよかったよ。あと、これ、今日収穫したラベンダーもあるんだけどね、ジェイソンさんがどうしても管理人さんにって……あれ、ジェイソンさん?」
「俺は仕事に戻る」

 ジェイソンはそういうと、さっさと温室に向かってしまった。

「素直になれない人なんだ。管理人さん、これはわしたちからのプレゼントだ。私用のハーブだから、好きに使っておくれ」

 ジョセフはエルザにかごを渡すと、ジェイソンの後を追いかけていった。
 二人の姿を見送ってから、エルザは受け取ったかごの中を見る。
 ラベンダーのほかにも、カモミールやミントの姿もある。

「ダリさん、カモミールもありますよ? いかがですか?」

 嬉しくなって振り返るが、すぐにエルザはハッとした。

(そういえば、ダリさんはラベンダーの香りが苦手だったわ)

 どうしようかと思っていると、近づいてきたダリウスはおもむろにかごに手を伸ばした。
 そしてつかんだのはカモミールではなく、ラベンダーだった。

「これを、もらえるか?」
「私はいいですが……。あの、香りが苦手なのでは?」
「確かに苦手な香りだ。……でも、思い出の香りでもあるんだ」

 どこか切なげな眼差しで、ダリウスはラベンダーを見ていた。
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