婚約解消されたので温室の管理人になったら、眠れない王子の居眠り番になりました。
第7話 ハーブの効果ですよ!
「ここは?」
まだ頭がぼんやりしているのか、彼はオレンジ色の瞳でエルザを見つめながら、力のない声を出した。
エルザは呼びかけようとして、彼の名前を聞いていなかったことを思い出す。
「管理人室に入ってきた瞬間、眠ってしまったんですよ。どうやらお疲れだったみたいですね」
「君に、また迷惑をかけてしまったようだな」
「いいえ、迷惑だとは思ってませんよ」
出会い頭で突然寝てしまうのは驚くけれど、あまり眠れない彼が少しでも寝ることができたのはいいことだろう。
窓の外はもうすっかり暗くなっていて、ふと重要なことを思いだした。
「そういえば、夕方に訪問予定だった方がまだ来てないんだったわ」
「ああ、それはオレのことだ。いつもは侍従に頼んでいたが、今日はどうしても自らの足で来たかったんだ。……少し確かめたいこともあったからな」
最後の方は小声でよく聞こえなかったけれど、あの侍従の主が彼だと知って納得がいった。
初めて会った日に、渡したカモミールのサシェを気に入ってくれたのだろう。
カモミールには安眠効果があるから、何か事情があって眠ることができない彼の力になってくれたに違いない。
「どうでしたか、ここ数日よく眠れましたか?」
濃い隈ができるほどの不眠症が、一週間で改善できるとまでは思えないけれど、少しでも彼の力になれたのなら、カモミールをお勧めした甲斐があるというものだ。
(ハーブを気に入ってくれると嬉しいわ)
だがエルザの気持ちと反するように、カレンデュラのようなオレンジ色の瞳で青年は困ったようにほほ笑んだ。
「それが……。実は、あまり効果がなかったようなんだ」
「まあ、そうなんですか?」
温室のハーブ自体が悪いわけではないと思いたいが、少し落ち込んでしまう。
ハーブが万能ではないことはわかっているつもりだ。
それでも、彼の不眠が目の下の隈よりも深刻なのだと考えると悲しい気持ちになる。
「ああ、でも前よりは夜眠るのが怖くなくなった。カモミールの香りを嗅ぐと、君がそばにいるように感じてな」
「私がそばにいるように?」
どういう意味なのだろうと考えていると、慌てたように青年が声を出す。
「カモミールの香りを嗅ぐと、なぜか君のことを思い出すんだ。初めて会ったときに、君が近くにいるにもかかわらずオレは眠ることができた。いつもは家族だろうが誰だろうが近くに居ると全然眠れないのに、カモミールの香りを感じていると君がそばにいるように感じて、いつもよりも睡眠が怖くなくなったんだ。――さっきも、君の声を聞いた瞬間に睡魔が襲ってきて、ぐっすり眠ることができた。……鼻と額が痛い気がするが」
取り繕うように早口で巻し立てた青年に、エルザはつい身を乗り出して顔を輝かせる。
「それは、やっぱりハーブの効果ですよ! 香りには思い出も染みこむものですから、カモミールの香りで私のことを思い出してくれたのなら嬉しいです。それに私は毎日のようにこうして管理人室でハーブに囲まれた生活をしていますから、きっと染みついたハーブの香りで安心して眠れたんだと思います!」
「そ、そうかもな」
近づきすぎたのか、青年が体をのけぞらせる。
(しまった。ハーブのことになるとつい周りが見えなくなって)
突然恥ずかしくなって青年から離れると、彼はほっとした様子をみせた。それからカレンデュラのような瞳を優しく細めた。
「君は、ハーブが好きなのだな」
「はい!」
元気のいい返事に、青年が笑みをこぼした。
「そうか。君のような管理人がいるのなら、温室も安心だな」
「ありがとうございます」
「ミツレイ伯爵令嬢。前のことも、今日のことも感謝する。カモミールも助かった」
「こちらこそ、これからもご贔屓にしてくださいね。ではでは、こちらは本日分のカモミールです」
「ああ、確かに受け取った。……カモミールの香りも、良いものだからな」
カモミールの入った巾着を渡すと、彼は恭しく受け取って、大事そうに胸ポケットにしまい込んだ。
「あの、もしよろしければ、これから一緒にお茶をしませんか?」
「お茶?」
「はい。寝る前にカモミールティーを飲むと、安眠効果があるんですよ。だから――」
青年が眠れない理由があるのならとお茶を勧めたのだが、彼はカレンデュラのような瞳を細めると首を振る。
「すまないが、オレは人の淹れたお茶が飲めないんだ」
「あ、そうだとは知らずに、ごめんなさい」
「いや、これはオレの個人的な事情だ。君が謝る必要はない。……でも、いいことを聞いたな。今夜はカモミールティーを飲んで寝ることにするよ。ありがとう」
青年の目の下にはこびりついたような濃い隈がある。
一見すると陰険にも見える見た目とは違い、彼は優しく微笑んでお礼を言うと、管理人室から出て行こうとした。
その背中を見て、エルザはまだ名前を聞いていないことを思い出した。
「あの、お名前を教えていただけませんか?」
「……ああ、そういえばまだ名乗っていなかったな。オレの名前はダリ……ダリだ」
「ダリというのですね。これからはダリさんとお呼びしてもよろしいですか?」
「ああ、気軽にそう呼んでくれてかまわない」
「それなら私のことは、エルザと呼んでくださいね」
エルザの言葉に、振り返ったダリは少し驚いたような顔をしながらも、嬉しそうにうなずいた。
「ああ、よろしくな、エルザさん」
「はい! ダリさんも、また来てくださいね」
まだ頭がぼんやりしているのか、彼はオレンジ色の瞳でエルザを見つめながら、力のない声を出した。
エルザは呼びかけようとして、彼の名前を聞いていなかったことを思い出す。
「管理人室に入ってきた瞬間、眠ってしまったんですよ。どうやらお疲れだったみたいですね」
「君に、また迷惑をかけてしまったようだな」
「いいえ、迷惑だとは思ってませんよ」
出会い頭で突然寝てしまうのは驚くけれど、あまり眠れない彼が少しでも寝ることができたのはいいことだろう。
窓の外はもうすっかり暗くなっていて、ふと重要なことを思いだした。
「そういえば、夕方に訪問予定だった方がまだ来てないんだったわ」
「ああ、それはオレのことだ。いつもは侍従に頼んでいたが、今日はどうしても自らの足で来たかったんだ。……少し確かめたいこともあったからな」
最後の方は小声でよく聞こえなかったけれど、あの侍従の主が彼だと知って納得がいった。
初めて会った日に、渡したカモミールのサシェを気に入ってくれたのだろう。
カモミールには安眠効果があるから、何か事情があって眠ることができない彼の力になってくれたに違いない。
「どうでしたか、ここ数日よく眠れましたか?」
濃い隈ができるほどの不眠症が、一週間で改善できるとまでは思えないけれど、少しでも彼の力になれたのなら、カモミールをお勧めした甲斐があるというものだ。
(ハーブを気に入ってくれると嬉しいわ)
だがエルザの気持ちと反するように、カレンデュラのようなオレンジ色の瞳で青年は困ったようにほほ笑んだ。
「それが……。実は、あまり効果がなかったようなんだ」
「まあ、そうなんですか?」
温室のハーブ自体が悪いわけではないと思いたいが、少し落ち込んでしまう。
ハーブが万能ではないことはわかっているつもりだ。
それでも、彼の不眠が目の下の隈よりも深刻なのだと考えると悲しい気持ちになる。
「ああ、でも前よりは夜眠るのが怖くなくなった。カモミールの香りを嗅ぐと、君がそばにいるように感じてな」
「私がそばにいるように?」
どういう意味なのだろうと考えていると、慌てたように青年が声を出す。
「カモミールの香りを嗅ぐと、なぜか君のことを思い出すんだ。初めて会ったときに、君が近くにいるにもかかわらずオレは眠ることができた。いつもは家族だろうが誰だろうが近くに居ると全然眠れないのに、カモミールの香りを感じていると君がそばにいるように感じて、いつもよりも睡眠が怖くなくなったんだ。――さっきも、君の声を聞いた瞬間に睡魔が襲ってきて、ぐっすり眠ることができた。……鼻と額が痛い気がするが」
取り繕うように早口で巻し立てた青年に、エルザはつい身を乗り出して顔を輝かせる。
「それは、やっぱりハーブの効果ですよ! 香りには思い出も染みこむものですから、カモミールの香りで私のことを思い出してくれたのなら嬉しいです。それに私は毎日のようにこうして管理人室でハーブに囲まれた生活をしていますから、きっと染みついたハーブの香りで安心して眠れたんだと思います!」
「そ、そうかもな」
近づきすぎたのか、青年が体をのけぞらせる。
(しまった。ハーブのことになるとつい周りが見えなくなって)
突然恥ずかしくなって青年から離れると、彼はほっとした様子をみせた。それからカレンデュラのような瞳を優しく細めた。
「君は、ハーブが好きなのだな」
「はい!」
元気のいい返事に、青年が笑みをこぼした。
「そうか。君のような管理人がいるのなら、温室も安心だな」
「ありがとうございます」
「ミツレイ伯爵令嬢。前のことも、今日のことも感謝する。カモミールも助かった」
「こちらこそ、これからもご贔屓にしてくださいね。ではでは、こちらは本日分のカモミールです」
「ああ、確かに受け取った。……カモミールの香りも、良いものだからな」
カモミールの入った巾着を渡すと、彼は恭しく受け取って、大事そうに胸ポケットにしまい込んだ。
「あの、もしよろしければ、これから一緒にお茶をしませんか?」
「お茶?」
「はい。寝る前にカモミールティーを飲むと、安眠効果があるんですよ。だから――」
青年が眠れない理由があるのならとお茶を勧めたのだが、彼はカレンデュラのような瞳を細めると首を振る。
「すまないが、オレは人の淹れたお茶が飲めないんだ」
「あ、そうだとは知らずに、ごめんなさい」
「いや、これはオレの個人的な事情だ。君が謝る必要はない。……でも、いいことを聞いたな。今夜はカモミールティーを飲んで寝ることにするよ。ありがとう」
青年の目の下にはこびりついたような濃い隈がある。
一見すると陰険にも見える見た目とは違い、彼は優しく微笑んでお礼を言うと、管理人室から出て行こうとした。
その背中を見て、エルザはまだ名前を聞いていないことを思い出した。
「あの、お名前を教えていただけませんか?」
「……ああ、そういえばまだ名乗っていなかったな。オレの名前はダリ……ダリだ」
「ダリというのですね。これからはダリさんとお呼びしてもよろしいですか?」
「ああ、気軽にそう呼んでくれてかまわない」
「それなら私のことは、エルザと呼んでくださいね」
エルザの言葉に、振り返ったダリは少し驚いたような顔をしながらも、嬉しそうにうなずいた。
「ああ、よろしくな、エルザさん」
「はい! ダリさんも、また来てくださいね」