明治恋奇譚 〜藤堂様、ミエテマスヨ!~

藤堂様、落ち着きを失くしています

 藤堂家の応接間。窓から差し込む陽の光が、書類の束に淡く影を落とす。
 将吾は書斎の机に向かい、未決の報告書を手にしていたが、内容がまるで頭に入ってこなかった。
 ふと手が止まり、椅子に深くもたれかかる。

(……尚文と玲子殿が、買い物……か)

 理由はわかっている。
 玲子が「一将の羽織紐を買いたい」と言い出したのだ。
 我が儘というにはあまりにも控えめな願いに、将吾は心の奥で微かに胸を衝かれた。

 けれど、尚文が「俺が連れて行く」と言い出した時、自分はなぜか「それでいい」と引き下がってしまった。

 今になって思えば、なぜ頷いてしまったのか、おのれ自身に腹が立つ。
 それから何度も書類に目を通そうとするが、まるで文字が頭に入って来ない。

(……くそ、どうにも手につかん)

 ため息まじりに軍帽を手に取り、勢いよく立ち上がる。

「少し、出てくる」

 玄関に居た使用人に一声かけ、将吾はそのまま玄関を出た。
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