明治恋奇譚 〜藤堂様、ミエテマスヨ!~

玲子様、ピンチです

 玲子の側に《《悪しきモノ》》の気配を察した一将は、町の通りを駆けるようにして、玲子を追いかけようとした。
 しかし、ある地点を越えた瞬間、足がすくんだように動きが止まる。

『ぐ、ぬぅっ……!』

 足を踏み出そうとしても、透明な壁に弾かれるような感覚に襲われる。
 体が前へ進まない。魂そのものが引き戻されるような力に抗えず、顔をしかめた。

『くっ、ここまでか……尚文から距離を取りすぎた……! これ以上は……っ』

 玲子が、あのならず者に連れ去られてゆく、その光景を、歯噛みしながら見送るしかない。
 あんなに嬉しそうに羽織紐を選んでいた玲子が、ただ誰かを想っていた玲子が、こんな目に遭わされるとは。

『拙者の……気持ちに応えようとしてくれたというのに! なんと、無念……!』

 それでも一将は、未練がましく前へ進もうとした。だが、半透明な足がにじむように揺れて、戻されてゆく。
 その叫びは、誰にも届かない。
 ただ、風のように、魂の名残のように、その場に漂うだけだった。
 やがて、尚文が小走りに戻ってくる。

『ぐぬぬ、何をしておる!あれほど玲子殿から目を放すなと申したではないか!』

 一将は、怒鳴りつけるが、幽霊故に気付いてもらえない。
 不穏な空気を感じた尚文は、玲子を探すが、その姿は見つけられなかった。

「玲子君……?」

 店の中を見回しても、玲子の姿はない。
 代わりに、店の片隅に残されていたのは、風に舞うように、ひとつ残された白い羽織紐だった。
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