明治恋奇譚 〜藤堂様、ミエテマスヨ!~

玲子様、逃げ出します

 ホテルの庭園にある東屋まで辿り着いた時、玲子の肩は大きく上下していた。
 着慣れないドレスは足さばきを悪くし、踵のある靴は砂利道に沈み、走るにはまるで向いていなかった。

『……おい、玲子殿。聞こえておるか? 玲子殿』

 どこか遠くで聞こえるような一将の声に、玲子はふらつきながらも顔を上げた。
 薄明かりの下で、東屋の柱に寄りかかるように立つ彼の姿が見える。眉尻を下げ、まるで叱られた子供のような顔をしていた。

「一将様……。すみま……せん。わたくし、将吾様の手を……」

 息が上がり、言葉を繋ぐのも苦しい。それでも、玲子の瞳はどこか悔しげだった。
 だが、一将は彼女の言葉を遮るように、膝をつき、頭を下げた。
そう、土下座の体勢だ。

『玲子殿……拙者の孫、将吾を助けてくださり、まことに、ありがたき幸せ。無理を申したのはこちら。……最後に、今一度だけ。魂から礼を申し上げ申す。まことに、かたじけのうござる』

「や、やめてください……! そんな……!」

 思わず、玲子も膝をついた。
 しかし相手は幽霊だ。どれほど頭を下げられても、手を取って立たせることはできない。

「わたくしの方こそ……もっと気の利いた方法があったのではと悔いております。あのようにグラスを叩き落とすなんて……やりすぎだったかと……」

『いや。あの一瞬の咄嗟の判断がなければ、将吾は……命を落としておったやもしれぬ。よくぞ、止めてくださった。見事な働きであった』

 一将の真っ直ぐな言葉に、玲子は胸がきゅっと締めつけられた。

< 13 / 234 >

この作品をシェア

pagetop