明治恋奇譚 〜藤堂様、ミエテマスヨ!~

玲子様、お客様です

 この日、藤堂家の庭には、控えめな日差しと、そよ風に揺れる草花の匂いが漂っていた。
 玲子は、自分の唇にそっと手を当て、頬を赤らめる。
 そう、将吾との口づけを思い出していたのだ。

「将吾様……」

 恥ずかしさを隠すように、水差しを手に、小道の脇に並ぶ花々へ水を与え始める。
 スミレや都忘れが色とりどりに咲き誇り、控えめながら心を癒す彩りを見せていた。

「随分、慣れた手つきだね。まるで長く藤堂に仕えている人のようだ」

 不意にかけられた声の方へ、玲子は振り返る。
 そこに立っていたのは、物腰が柔らかくもどこか測りがたい雰囲気を纏った男・将吾の叔父、藤堂輝明だった。
 将吾や尚文から輝明の風貌を聞いていた玲子は、すぐに思い当たり、焦って立ち上がった。
 思わず身を正しながら、玲子は静かに言葉を紡ぐ。

「……っ、藤堂、輝明様……でいらっしゃいますか?はじめまして……榊原玲子と申します」

 深く頭を下げるその仕草には、明らかな緊張と礼儀が宿っていた。

「お噂はかねがね。こうしてお目にかかれて光栄です。君が、この庭を……」

 輝明は軽く目を細めて花壇を眺める。
 その所作は優雅で、言葉も丁寧。だが、玲子の胸にわずかなざらつきが残った。
 一見、柔和に見える輝明、だが目の奥が……笑っていない。

(なんだろう、この感じ……優しく見えるのに、どこか……冷たい)
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