明治恋奇譚 〜藤堂様、ミエテマスヨ!~
月が浮かんでいた
◇
その夜。
自宅に戻った尚文は庭にある池の淵に佇んでいた。
水面は月光に淡く照らされ、植え込みの影が細く伸びている。
尚文は一人、音を立てぬように石畳の上をゆっくりと歩いていた。
喧騒もない。言葉もない。ただ、虫の声と風の音だけが、夜の静けさを満たしていた。
ふと、足を止める。
見上げた空に、雲ひとつない満月が浮かんでいた。
(君が誰を見ていたかなんて、わかっていたさ……)
心の中でつぶやいた言葉は、どこか遠くへ溶けていった。
涙は出なかった。ただ、胸の奥がきゅうっと締めつけられるような痛みだけが、確かにそこにあった。
けれど、後悔はなかった。
恋は実らなくとも、彼女を想う気持ちは、間違いではなかったはずだから。
「……玲子君が、笑っていられるのなら」
そっと、木々の向こうの離れを見やる。
あの窓の向こうに、今もあの笑顔があることを願いながら。
尚文は、そっと目を伏せ、息を吐いた。
「……ああ、僕はやっぱり……」
言葉の続きは、風に消えた。
静かに踵を返し、庭の奥へと歩き出す尚文の背は、どこか清々しくもあり、ほんの少し、寂しげでもあった。
その夜。
自宅に戻った尚文は庭にある池の淵に佇んでいた。
水面は月光に淡く照らされ、植え込みの影が細く伸びている。
尚文は一人、音を立てぬように石畳の上をゆっくりと歩いていた。
喧騒もない。言葉もない。ただ、虫の声と風の音だけが、夜の静けさを満たしていた。
ふと、足を止める。
見上げた空に、雲ひとつない満月が浮かんでいた。
(君が誰を見ていたかなんて、わかっていたさ……)
心の中でつぶやいた言葉は、どこか遠くへ溶けていった。
涙は出なかった。ただ、胸の奥がきゅうっと締めつけられるような痛みだけが、確かにそこにあった。
けれど、後悔はなかった。
恋は実らなくとも、彼女を想う気持ちは、間違いではなかったはずだから。
「……玲子君が、笑っていられるのなら」
そっと、木々の向こうの離れを見やる。
あの窓の向こうに、今もあの笑顔があることを願いながら。
尚文は、そっと目を伏せ、息を吐いた。
「……ああ、僕はやっぱり……」
言葉の続きは、風に消えた。
静かに踵を返し、庭の奥へと歩き出す尚文の背は、どこか清々しくもあり、ほんの少し、寂しげでもあった。