明治恋奇譚　〜藤堂様、ミエテマスヨ！～

祝言前夜

祝言の前夜、藤堂家はいつにも増して静けさに包まれていた。

　玲子は離れの自室で、鏡の前に静かに座っていた。櫛を手に、ゆっくりと髪を梳かしながら、明日の晴れの日を思う。だがその胸は、ただ浮かれているわけではなかった。

　明日から、自分は藤堂家の一員になる。将吾の隣に立つ覚悟を、本当に持てているだろうか……。
　そんな問いが、鏡越しの自分を見つめる目に浮かんでいた。

　手元には、母・千賀子がかつて愛用していた小袖が丁寧に畳まれて置かれている。それは、幼き日にかすかに覚えた母の香りと、優しい微笑みを思い出させる一枚だった。

「……お母様。見ていてくださいますか」

　玲子がそう囁いたとき、不意に部屋の空気がふわりと揺れた。襖の隙間から風が差し込んだかと思うと、ふっと影が差す。

『……玲子殿、心配せずとも大丈夫だ。おぬしの隣には将吾がおるのだ。もう、一人きりではないのだから』

　振り返ると、そこにはいつものように袴姿の一将が立っていた。その表情は、どこかいつもより柔らかく、まなざしには深い慈しみが宿っている。

『よくぞここまで来たのう、玲子。明日は……誇ってよい日じゃ』

　玲子は微笑みながら、そっと頭を垂れた。

「……一将様。ありがとうございます」

　言葉を噛みしめるように告げると、玲子の頬にそっと涙が伝った。
< 220 / 234 >
表紙・目次

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop