明治恋奇譚 〜藤堂様、ミエテマスヨ!~

玲子様、 祝言です

祝言の朝。

 藤堂家は朝露に濡れた庭の木々までもが、どこか引き締まったような雰囲気を纏っていた。
 厳かで、それでいてどこか華やかな気配。使用人たちは朝早くから立ち働き、廊下には白足袋の音がさざ波のように続いていた。

 白木の床が磨き上げられ、庭先の砂利も丁寧に均される。女中たちは髪を結い直し、男衆は裃の整いを互いに確認し合っていた。緊張と期待の入り混じる空気の中、ひとつの節目の時が近づいていることを、誰もが感じていた。

 離れの一室では、玲子が静かに花嫁衣裳に着替えを進めていた。

 白無垢に包まれたその姿は、どこか夢のようで、本人ですら実感が湧かないほどだった。鏡越しに映る自分の姿を見つめ、玲子はそっと、母・千賀子の小袖の端に指を添える。


 花嫁支度を手伝う女中が、やさしく頷いた。

「お綺麗ですよ、お嬢様……いえ、藤堂玲子様」

 その言葉に、玲子は恥ずかしそうに微笑んだ。だがその目は、しっかりと未来を見据えていた。

 一方、本邸の書院では、将吾が父・将輝に最終の挨拶を済ませていた。

 淡い緊張を纏いながらも、彼の背筋は真っ直ぐだった。すでに多くの困難を乗り越えた自負と、今日という日に誓う覚悟が、その立ち姿からにじみ出ていた。

「……行ってまいります、父上」

「うむ。……立派に務めよ」

 短く返した将輝の眼差しに、かすかな誇りが宿っていた。
思えば、これまでの人生に“家族”と呼べる温もりはなかった。
 幼くして母を失い、屋敷では「妾腹の子」として冷たい目を浴び、ただ一人で立ち、歩いてきた。
 あの日、母が残した小袖を胸に抱きながら、縁側でひとり過ごした幼い夜。その記憶が、ふと胸に去来する。
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