明治恋奇譚 〜藤堂様、ミエテマスヨ!~

玲子様、絶対絶命です

 逃げ場はない。
 諦めたように、玲子は小さくうなずいた。
その反応に、男は満足げに口元をゆがめる。彼女が完全に自分の手の内に入ったと確信したように。

 そして、男は、いやらしい笑みを浮かべながら、玲子の着物の中を覗き込むように視線を這わせた。舐めるように上から下まで、まるで獲物を品定めするような目つきで。

「本当に、殺すのは惜しいな……。ああ、いっそ死んだことにして、俺の家で飼ってやるのも悪くねぇ。それとも、吉原に売っちまうか……?」

 おかしい……。
 この男は、松林吉壱の差し金ではない。
 もしも吉壱の手の者なら、玲子を「傷つけずに連れ戻す」はずだ。

 なにせ、あの男は玲子を後妻にと望んでいる。
 ましてや、仮にも男爵家の娘である玲子を吉原に売るなどという暴挙に出れば、榊原家の怒りを買い、松林屋の商売に大きな傷がつくのは明白だった。

 つまり、この男は吉壱とは別の、何者かの差し金。
 玲子を狙っての犯行だとしか思えない。
 だが……玲子には、命を狙われるような心当たりがない。
 男は、背後から玲子の背中をぐいと押した。

「ほら、歩け。声を立てるなよ。……分かってるだろうな?」

 冷たい刃が首筋に押し当てられる。
 ぞわり、と悪寒が走り、玲子は息を呑んだ。

 (怖い。誰か、助けて……。)

 ギュッと目を閉じ、玲子は見えぬ何かに祈るように縋った。
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