すれ違いの果てに見つけた愛

序章:夢見た結婚式

 白いヴェール越しに、彼の姿を見つめた。
 胸の奥が熱くなって、涙がにじむ。ずっと夢見ていた瞬間。小さな頃から慕い続けてきた人と、こうして永遠を誓う日が来るなんて——。

 西園寺翔。財閥「西園寺グループ」の御曹司であり、私にとっては憧れであり、初恋の人であり、唯一無二の存在だった。
 その彼が、今日、私の夫になる。

「——誓いますか?」

 牧師の低い声が、荘厳なチャペルに響いた。
 正面のステンドグラスから差し込む光が、翔の横顔を照らしている。凛々しく、端正で、冷たささえまとった彼の表情に、胸が締めつけられた。

「はい、誓います」

 彼の声は低く、迷いもない。
 私は一瞬、息を呑んだ。ずっと夢見てきた「誓いの言葉」なのに、どこか遠い。まるで形式的な響きに聞こえてしまって。

「杏里、西園寺翔を夫とすることを誓いますか?」

 牧師が私の名を呼ぶ。私は微笑みをつくり、かすかに震える唇を動かした。

「……はい。誓います」

 拍手が起こる。花々の香りが漂い、讃美歌が流れ始める。
 それなのに、胸に広がるのは幸せだけではなかった。どこか、不安。どこか、冷たさ。

 翔は私の手を取った。けれど、その指先は少しだけ硬く、ぎこちない。
 ヴェールを上げる仕草も、淡々としている。
 そっと触れられた唇——。夢にまで見た口づけのはずなのに、熱はなかった。

(どうして……? これが、夢見た結婚式だったのに)

 胸の奥で小さなざわめきが広がる。
 けれど私はかたく唇を結び、笑顔を作った。そうしなければ、すべてが壊れてしまいそうだったから。

 ——幸せだと言い聞かせなきゃ。翔と結婚できただけで、私は十分なはず。



 披露宴会場は、きらびやかなシャンデリアと純白の花々で彩られていた。
 祝辞を述べる人々の言葉が続き、フラッシュがひっきりなしに光る。華やかな笑い声とグラスの音。
 私はテーブルの隅で、少しだけ息苦しさを感じていた。

「おめでとうございます、翔さん!」
「奥様も、本当にお綺麗で——羨ましいですわ」

 次々にかけられる言葉に、私は微笑んで頭を下げる。
 けれど翔は、社交的な笑みを浮かべながらも、私に視線を向けることはほとんどなかった。

「翔さん、今度の海外プロジェクトの件ですが——」
「ええ、詳しくは後日。すぐにでも動く予定です」

 彼は隣に座る財界の重鎮と話し込んでいる。私の存在など忘れてしまったかのように。
 胸がきゅうっと痛む。
 私はグラスの中で揺れる泡に視線を落とした。

(今日くらい、私を見てほしいのに……)

「大丈夫?」

 ふいに隣から声がして振り返ると、幼馴染の真理が心配そうに見つめていた。
「……平気よ。ちょっと緊張してるだけ」

 そう答えたものの、胸の奥はずっとざわついていた。



 夜更け。豪奢な新居に戻ったとき、私の不安はさらに大きくなった。
 広すぎるリビング。静まり返る室内。
 翔はネクタイを外し、淡々と告げた。

「今日は疲れただろう。……部屋は二つ用意してある。好きに使え」

 耳を疑った。
「え……?」

「俺は主寝室を使う。お前はゲストルームでいい」

 淡々とした声。そこに優しさはなかった。
 夢にまで見た結婚初夜が、こんな言葉で終わるなんて。
 私は思わず唇を噛みしめた。

「翔さん……本当に、それでいいんですか?」

「——何がだ?」

「私たち、夫婦でしょう……?」

 一瞬だけ、彼の瞳が揺れた気がした。けれどすぐに逸らされる。
 冷たい沈黙。
 私は笑顔を装い、深く頭を下げた。

「……わかりました。おやすみなさいませ」

 背を向けた瞬間、胸の奥に鋭い痛みが走る。
 夢見た結婚式は、確かに現実となった。けれどそれは、思い描いていた幸福とは程遠かった。

 扉の向こうで、私はそっと涙を落とした。

(私のことなんて、翔さんは……何とも思っていないの?)
< 1 / 22 >

この作品をシェア

pagetop