すれ違いの果てに見つけた愛

第十章:拒絶と執着


 翌日の夕暮れ。
 カフェの営業を終え、シャッターを下ろしたとき、背後に影が差した。
 振り返った瞬間、胸が大きく脈打つ。

 ——西園寺翔。

 昨日と同じ黒いスーツ、鋭い瞳。その存在感だけで、夜の空気が張り詰める。

「また……来たの」

 かすれた声で問いかけると、彼は一歩近づいてきた。

「言ったはずだ。お前を放っておくつもりはない、と」

 低い声が、心の奥を震わせる。
 私は後ずさり、必死に距離を取った。

「やめて。……もう関わらないで」

「関わらない……? 四年も探して、やっと見つけたんだぞ」

 翔の声には、冷静さを装いながらも抑え込んだ激情が滲んでいた。
 私は首を振る。

「離婚したのよ。もう他人なの。翔さんの“妻”じゃない」

「他人……?」

 彼が小さく笑った。その笑みは冷たいのに、どこか追い詰められた人間のようでもあった。

「俺の中で、お前が“他人”だったことは一度もない」

「……っ」

 言葉を失う。
 胸の奥が熱くなり、涙が滲む。



「どうして……今さらこんなことを言うの。だったら、あのとき……私が隣にいたときに言ってくれればよかったのに」

 嗚咽混じりに吐き出した声。
 翔は表情を歪め、拳を握りしめた。

「言えなかった。俺は、西園寺の跡継ぎだ。感情を優先させれば、お前を苦しめると思った。だから距離を置いた。……だが、失ってから気づいたんだ。お前がいなければ、何も意味がない」

「そんな勝手な理屈、受け入れられない」

 私は震える声で叫ぶ。

「私は、翔さんの“飾り”でしかなかった。……本当に、愛されてたなんて信じられない」

 その瞬間、翔が大股で近づき、私の肩を強く掴んだ。

「飾り? 誰がそんなことを言った」

「……あなたの態度が、そうだったのよ!」

 涙が溢れる。
 翔の手が震えているのが伝わる。

「杏里。俺は……お前を見ないようにしていただけだ。本当は誰よりもお前を求めていた」

「やめて!」

 私は必死に肩を振り払おうとした。
 けれど彼の力は強く、逃げられない。

「離して……」

「嫌だ」

 短い一言に、深い執着が滲んでいた。
 その声は冷たいはずなのに、なぜか熱を帯びていて、心を揺さぶる。



「杏里。……誰と笑っていようが、どこで生きていようが、俺は許さない。お前は俺の妻だ」

 低い囁きが耳に落ちる。
 背筋が震える。
 怖いのに、胸の奥が熱く疼いてしまう。

「翔さん……あなたは私を苦しめるだけよ」

「違う。……今度は絶対に手放さない。それだけだ」

 翔の目は真剣だった。
 そこに映っているのは、かつて私が求めてやまなかった“熱”だった。

 けれど——。

「私は……信じられない」

 震える声で告げると、翔は苦しげに眉を寄せた。

「時間をくれ。必ず証明する」

 そう言い残し、彼はゆっくりと手を離した。
 解放された肩が、じんじんと痛む。
 けれどその痛み以上に、心の奥が乱れていた。



 夜の道を帰りながら、私は胸を押さえた。
 翔の言葉が頭の中で何度も繰り返される。

——「お前がいなければ、何も意味がない」
——「今度は絶対に手放さない」

 頬を伝う涙を、拭っても拭っても止められなかった。

(どうして……。どうして今さらそんなことを言うの? 私はやっと、新しい人生を歩き始めたのに……)

 夜風が頬を冷やす。
 でも胸の奥は、翔の熱い視線に焼かれたままだった。
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