すれ違いの果てに見つけた愛

第十二章:過去の誤解

 夜の公園は、人影もまばらで静かだった。
 街灯の下で揺れる葉の影が、二人の距離を際立たせている。
 私はベンチに腰を下ろし、俯いたまま拳を握りしめていた。

 隣に立つ翔は、しばらく黙ったまま私を見下ろしていたが、やがて深く息を吐いた。

「……お前は、ずっと誤解していたんだな」

 低い声に、私は顔を上げる。
 黒い瞳が、逃げ場のないほど真っ直ぐに私を射抜いていた。

「誤解……?」

「俺がお前を“飾り”だと思っていた、と」

 胸が詰まる。
 まさにそれこそが、四年間私を苦しめ続けた思いだった。

「違うの……? だって、翔さんは一度も私を見てくれなかった。結婚しても別々の部屋で、食卓で話しかけても曖昧に返すだけで……。どう考えても、愛されてるなんて——」

「違う」

 強い声で遮られた。
 翔は拳を握りしめ、唇を噛んでいた。

「俺は……お前を見ないようにしていた」

「……見ないように?」

 思わず繰り返す。
 翔はゆっくりと視線を逸らし、夜空を仰いだ。

「お前を見れば、触れたくなった。声を聞けば、抱きしめたくなった。……だが、それをすれば俺はお前を縛る。政略結婚という重荷に、俺の執着まで背負わせることになる」

 胸が大きく揺さぶられる。
 そんなふうに考えていたなんて、一度も想像したことがなかった。

「だから……冷たくして、距離を置いた。お前が“楽”でいられるように。……俺なりに守ろうとしていたつもりだった」

 翔の声がかすかに震えていた。
 私は呆然とし、言葉が出てこなかった。



 やがて私は小さく首を振る。

「でも、それじゃあ……私には伝わらなかった。むしろ、突き放されてるとしか思えなかった」

「わかっている。……結果的に、お前を追い詰めた」

 翔の目が苦しげに歪む。
 あの冷たい瞳が、今は痛みを宿していた。

「杏里。俺はずっと……お前を愛していた」

 心臓が跳ねた。
 信じられない言葉だった。

「嘘……」

「嘘じゃない」

 翔は膝をつき、私と同じ目線に降りてきた。
 大きな手が震えながらも、そっと私の手を包む。

「四年前、離婚届を見たとき……初めて心臓を掴まれたように苦しかった。もう二度と笑顔を見られないのかと思ったら、息ができなかった」

 胸が締めつけられる。
 翔の指の熱が、じんじんと伝わってくる。

「どうして……言ってくれなかったの」

 涙が頬を伝う。
 私は必死に声を震わせながら問いかけた。

「一度でも“好きだ”って言ってくれたら、私は——」

 翔は目を閉じ、苦しげに眉を寄せた。

「言えなかった。……言葉にすれば、弱さになると思っていた。俺が背負うものに、お前を巻き込みたくなかった」

「それが誤解を生んだのよ……!」

 思わず叫ぶ。
 翔ははっと目を開き、深くうなだれた。

「そうだ。……愚かだった」

 沈黙が落ちる。
 夜風が二人の間を通り抜け、街灯の光が涙を照らした。



 やがて私は震える声で呟いた。

「翔さん……もし本当に、私を愛してたなら。どうして離婚を受け入れたの」

 鋭い問いに、翔は苦しげに目を伏せる。

「お前が幸せになれるなら、それでいいと思った。俺ではなくても……」

「そんなの、勝手すぎる」

 嗚咽がこぼれる。
 私は彼の胸を叩いた。

「私の気持ちを聞きもしないで……“守ってるつもり”だなんて……!」

 翔はその手を受け止め、強く握った。

「……すまない。俺は間違っていた。もう二度と、お前の声を無視しない。どんなにみっともなくても、本心を伝える」

 その瞳に、初めて真実の熱が宿っているのを感じた。
 だけど、簡単に信じるわけにはいかない。

「……今さら信じろなんて、無理よ」

 涙をぬぐい、私は顔を背けた。

 翔はそれ以上言葉を重ねなかった。
 ただ、震える手で私の指を握り続けていた。



 夜の公園に、遠くから子どもたちの笑い声が響いた。
 過去の誤解は少しずつ解け始めていた。
 けれど、四年間の空白と痛みは、まだ簡単には埋められそうになかった。

(翔さん……本当に、私を愛していたの……? それとも、今になって都合よく言っているだけなの……?)

 揺れる心の奥で、答えのない問いがまた芽生えていた。
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