すれ違いの果てに見つけた愛

第十四章:麻衣の影


 夕暮れのカフェ。
 窓から差し込む光が赤くテーブルを染める中、私は注文票を整理していた。
 静かな時間——のはずだった。

 カラン、と扉のベルが鳴る。
 顔を上げた瞬間、背筋が冷たくなった。

 漆黒のドレスに身を包んだ女性。
 艶やかな黒髪を肩に流し、真紅の唇に挑発的な笑み。
 ——麻衣。

「まあ。やっぱりここにいたのね、杏里さん」

 その声に、胸がぎゅっと縮む。
 彼女の視線には、静かに人を見下ろすような棘が含まれていた。



「どうして……ここに」

 私がかろうじて声を絞り出すと、麻衣はカウンターに腰をかけ、余裕たっぷりに笑った。

「翔さんを追ってきたの。最近、この街に足繁く通ってるでしょう? 理由を知りたくて」

 その言葉に心臓が跳ねる。
 翔——。
 彼がこの街に来ていることを、麻衣も知っている。

「あなた……まだ翔さんと繋がっているの?」

「“まだ”? ふふ。私と翔さんは昔から特別な関係よ。……あなたも知っているでしょう?」

 挑発的な瞳が私を射抜く。
 胸が痛くなり、手元の伝票が揺れた。



「翔さんが、あなたを愛していたなんて……信じられる?」

 麻衣はわざとらしく声を潜め、囁くように言った。

「だって、あの人が私に微笑む時と、あなたを見る時……全然違うんだもの」

「……!」

 鼓動が乱れる。
 翔の言葉を思い出す——「俺はずっとお前を愛していた」。
 けれど麻衣の笑みが、その記憶を揺さぶっていく。

「あなたは四年前、翔さんに捨てられた。それが事実でしょう?」

「……違う」

 震える声で否定する。
 けれど自信はなく、視線が揺れる。

 麻衣は満足げに笑った。

「なら、聞いてみればいいじゃない。翔さんが誰を見ていたのか。……ねえ、杏里さん。あなた、本当に彼を信じられる?」

 その言葉は鋭い刃のように胸に突き刺さった。



 その夜。
 帰り道、街灯の下で翔が待っていた。

「遅かったな」

 低い声。
 いつものように私を見つめる瞳に、なぜか痛みを感じる。

「……翔さん。今日、麻衣さんが来たわ」

 告げると、翔の眉がわずかに動いた。

「……そうか」

「どういう関係なの?」

 震える声で問い詰める。
 翔は短く息を吐き、苦しげに目を伏せた。

「昔、婚約話が持ち上がったことはあった。だが、俺は断った」

「でも、周りはそうは思ってない。麻衣さんは今でも、あなたが特別だと言っていた」

 涙がにじむ。
 翔は私の肩を掴み、真剣な眼差しで見つめた。

「信じてほしい。俺が選んだのはお前だけだ」

「……でも」

 麻衣の赤い唇が頭をよぎる。
 彼の言葉を信じたいのに、不安が膨らんでいく。

「翔さん……私、また間違ってるのかな。あなたを信じたら、また同じことを繰り返すんじゃないかって……怖いの」

 嗚咽混じりに吐き出す。
 翔の瞳が痛みを宿し、強く私を抱き寄せた。

「もう二度と繰り返させない。……俺を信じろ」

 その言葉は熱を帯びていた。
 けれど、胸の奥で麻衣の笑みが消えなかった。

(翔さんの言葉を信じたい……でも……)

 心は揺れ続けていた。
 麻衣の影が、二人の間に濃く落ちていた。
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