すれ違いの果てに見つけた愛

第三章:嫉妬の影

 秋の夜風が涼やかに吹き抜ける。
 西園寺家が主催する晩餐会は、都心の最高級ホテルを貸し切って開かれていた。
 シャンデリアがきらめき、グラスの氷が揺れる音。煌びやかな笑い声とざわめきが、重厚な空気を支配している。

 私は翔の隣に立ちながら、白いドレスの裾をそっと握りしめていた。
 夫婦として並ぶはずの立場なのに、彼はほとんど私に目を向けない。
 背広に身を包んだ翔は、完璧な微笑を浮かべ、次々と声をかけてくる財界の人々に応じていた。

「翔様、本日のご挨拶も見事でしたわ」
「さすが西園寺家の御曹司」

 彼の横顔は美しく、冷徹な輝きを放っている。
 けれど、そこに私の姿は映っていない気がした。

(私……ただ立っているだけの飾り、なの?)

 胸の奥がしんと痛んだ。



 グラスを受け取りながら談笑していた翔の前に、一人の女性が現れた。
 艶やかな漆黒のドレスに、真紅のルージュ。
 誰もが振り返るような美貌を持つその女性は、親しげに笑った。

「翔さん。お久しぶりね」

 私は息を呑んだ。
 ——麻衣。
 翔と噂になったことのある令嬢。
 その存在を思い出すだけで胸がざわつく。

「麻衣。……来ていたのか」

 翔の声が少しだけ和らいだように聞こえた。
 麻衣は楽しげに目を細め、軽やかに言葉を続ける。

「もちろんよ。西園寺家のパーティーを欠かすわけないでしょう? でも、まさか結婚してるなんて……驚いたわ」

 赤い唇が、私を意味ありげに見やる。
 刺すような視線に、胸がざわめいた。

「杏里さん、ですね。とてもお綺麗」

「……ありがとうございます」

 精一杯笑顔を作る。
 けれど、その笑みは自分でもぎこちないとわかる。
 翔は私に目を向けることなく、淡々と返した。

「——彼女は、俺の妻だ」

 その言葉に、なぜか冷たさを感じた。
 まるで事実を確認するだけの言葉。
 心のない紹介。



 麻衣は意味深に笑い、翔の腕へそっと触れた。
 赤い爪が彼の袖をかすめる。
 その仕草に、胸の奥がずきりと痛んだ。

「昔みたいに、また一緒にお仕事できるかしら?」

「……状況が合えばな」

 穏やかな笑顔で答える翔。
 私は耐えきれず、思わず声をあげてしまった。

「翔さん……!」

 周囲の人々が一瞬、私を見る。
 翔の視線が冷たく私に向けられた。

「どうした」

 低く抑えた声。その中に苛立ちが混じる。

「……いえ。ただ、少し……」

 言葉が続かなかった。
 胸の奥が痛くて、声が震えてしまう。

 麻衣は楽しげに微笑み、わざとらしく肩をすくめる。
「まあ、奥様ったら心配性なのね。翔さんは相変わらずモテるから」

「——麻衣」

 翔の声が低く響く。
 けれど、それが私を庇うためのものなのか、ただ場を収めるためなのかはわからなかった。



 パーティーの喧騒を抜け出し、私はひとり廊下に立っていた。
 シャンデリアの光も届かない薄暗い回廊。
 胸に手を当てても、鼓動は落ち着かない。

(どうして……あんなに自然に笑えるの? どうして、麻衣さんの前では表情が柔らかくなるの?)

 嫉妬。
 そんな感情を抱く自分が惨めでたまらなかった。
 私はただ、翔に振り向いてほしいだけなのに。

 背後から足音が近づく。
 振り返ると、翔が立っていた。

「こんなところにいたのか」

「……すみません。少し……息苦しくて」

 視線を逸らしたまま答える。
 翔の黒い瞳が、私を射抜くように見つめていた。

「先ほどの態度は……何だ」

「え……?」

「人前で感情を出すな。……西園寺家の顔に泥を塗るつもりか」

 冷たい声。
 胸がきゅっと縮む。

「そんなつもりじゃ……ただ、翔さんが麻衣さんと楽しそうにしていて……」

 言葉を吐き出した瞬間、唇が震えた。
 翔の表情が一瞬、揺れる。

「……嫉妬か」

「……っ!」

 心臓を掴まれたように苦しい。
 顔が熱くなり、涙がにじむ。

「私だって……夫婦なのに、見てほしいって思うのは、いけないことですか?」

 震える声で問いかける。
 翔はしばし沈黙し、視線を逸らした。

「……俺には、そんな余裕はない」

 短い言葉。
 その一言で、すべてが打ち砕かれる。

 私は微笑みを作ろうとしたけれど、頬を伝う涙は止められなかった。

(私は……翔さんにとって、やっぱりただの飾りなの?)

 華やかな音楽が遠くから響いてくる。
 けれど私の心に残ったのは、鋭く痛む嫉妬の影だけだった。
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