騙され婚〜私を騙した男の溺愛が止まらない〜
1
豪華な装いの店。その空間には、ブランド品で身を飾った婦人たちが集っていた。
そんな厳かな空間で、怒声が響き渡る。
「はぁ!? あんたの目が節穴なんでしょ!」
長くて黒い髪を払いながら、財前美麗は、鋭い吊り目で70近い婦人を睨みつけた。
「そんなわけないわ! 私がどれほど宝石を見ていると思っているの!? これは偽物よ!」
ショーケースへ綺麗に飾られた宝石を指差して、婦人は怯むことなく大声で反論した。
店舗に響く声に、店員はもちろんのこと、客にまで「またか……」と渋い顔をさせていることは、美麗は知らないだろう。
「一体どんな教育したらこんな大人になるのかしら。あーあ、親の顔が見てみたいわぁ!」
「っこの!」
美麗は手を大きく振りかざす。婦人は反射的に目を瞑り体を縮めた。しかし、平手打ちは降ってこず、婦人は恐る恐る顔を上げた。
美麗の平手打ちを止めたのは、客として来ていた細身の男だった。
「落ち着いてください」
腕を掴まれ一瞬美麗は動揺の色を見せたが、すぐに彼女は掴まれた腕に力を込め抗う。
しかし、一向に振り払えず、美麗は自身の腕を掴む男を睨む。
「離して! こんな女、訴えてやる!」
「それなら尚更やめましょうね」
婦人は叩かれなかった安堵よりも、訴えると言う言葉に過敏に反応した。
「あなた、今訴えるって言ったわね!? いいわよ。こちらは有能な弁護士を立てて貴女を徹底的に打ち負かしてあげますから!」
「良い度胸ね! だったらこっちだって、あんたなんかよりも何万倍も有能な弁護士を立ててやるわ!」
「あ、それなら僕、弁護士なんでよかったら……」
腕を掴んでいた男に突然名刺を渡された美麗は、怒りはどこへやらメガネをかけた男の顔を凝視した。
「……は?」
◇
財前美麗は財閥の娘だ。
金はあるし権力もある。しかし、美麗はお転婆が過ぎる故、よく父に叱られていた。
今回も騒ぎを起こし、父は書斎へ娘を呼び出し、仁王立ちで美麗を睨むこととなった。
「美麗の言い分はいつも分かる。分かるが……もっと冷静に言葉を選んで、相手を論破できるようになれ」
「……うちの商品にケチつけるから悪いのよ」
美麗に反省の色はない。むしろ不服そうな表情をしている。
その顔を見て、父は頭を抱えた。
「はあ……」
財前は高級ジュエリー店を経営している。
店では希少で品質の良いものだけを取り扱っており、価値のわかる者だけが買えば良いというスタンスだ。
しかし、美麗は価値を見出せず、いちゃもんをつけてくる客によく怒りを露わにする。
父は「そんな奴のために怒る必要はない。放っておけ」と釘を刺す。
だが、美麗は価値のわからない奴らが多く存在していることが悔しくてたまらない。
「もうお前も21歳だ。大人なんだから、我慢も覚えてくれ」
美麗の気持ちがわかる側のためか、父は少し寂しそうにそう言った。
「わかってるけど……やっぱり腹立たしいわ」
「お前が店のものを大事に思っているのは、スタッフや常連のお客様は誰もが知っている」
そこで一度口を閉じ、父は小さくため息を吐いた。
「……それで、今回訴えるという発言もしたそうだな?」
「ご、ごめんなさい」
「まあ、それはいい」
その発言を"そんなに簡単に流していいのか"と美麗は眉間に皺を寄せたが、父は美麗の後ろで控えている男を見た。
「まさか貴方が鉢合わせているとは思いませんでしたよ」
「いやぁ、僕も身につける宝石を少しは気を遣おうかと思っておりまして」
宝石が施された腕時計を触りながら、和かに微笑む男。今回、美麗の弁護士として立候補してきた高坂嶺二だ。
嶺二は、勝つのが難しいと言われていた著作権についての弁護でも見事勝った凄腕。
負けなし故か、代金は他より少々高い。それでも祖父は信用しているということで、嶺二以外を立てることはなかった。
「唐突のことなのに、本当に力になってもらってもよろしいのですか?」
「財前家の力になって欲しいと言われていたので、喜んで受けますよ」
任せてください。とどこか信用ならない笑みをじっと眺めていた美麗は、祖父は利用されているのではないかと考えてしまう。
「この人、本当に凄いんですか?」
「こら美麗、失礼だろう。……それで、どれほど必要でしょうか」
「いえ、今回はタダで構いませんよ。今後もご贔屓にしていただきたいですし、美麗さんの信用をまず第一に考えないと」
美麗を見て笑う嶺二。その表情に一層不信感を抱く美麗。
「今回だけでもいいから、高坂さんに助けてもらいなさい。後のことは美麗に任せるから」
「……わかりました」
「ありがとうございます。それでは早速、契約書の作成に入りますね」
嶺二はサラサラと小さいノートに何か書いた後、お辞儀をして部屋から出た。
「お祖父様、本当にあんなのを贔屓にしてたんですか? あまり良い雰囲気ではなかったのですけど」
父は特に雰囲気が悪いと思っていなかった。そのため、首を傾げ、美麗を訝しげに見つめた。
「……勘か? それともただ単に気に入らないだけか?」
「どっちもです。お祖父様から金を巻き上げてそうですし、お祖父様に気に入られてるのも気に食わない」
美麗は祖父の生き方が好きだった。
好き嫌いがはっきりしており、嫌いな客を出禁にする。
もちろん嫌いだからとすぐに出禁にするわけではない。商品に対して口煩く言う嫌いな客でも、理に適った発言をするのであれば、耳を傾けて改善を検討する。
媚を売るわけではないその姿勢が大好きなのだ。
「まぁ、あの人は出費をあまり気にしない人だったからね……」
豪遊するわけではないが、良いと思ったものにはとことん金を出すタイプだ。
人を気に入ればそれだけその人へ事あるごとに金を配ってしまう。
そのせいで賄賂だと勘違いされて良からぬ方向へ進む危険もあった。
「だが、あの人ほど最適な弁護士、今更探せないと思うぞ」
父は「お前が喧嘩売った婦人、金だけは持ってるから」と意味ありげにそう発言したのだった。
そんな厳かな空間で、怒声が響き渡る。
「はぁ!? あんたの目が節穴なんでしょ!」
長くて黒い髪を払いながら、財前美麗は、鋭い吊り目で70近い婦人を睨みつけた。
「そんなわけないわ! 私がどれほど宝石を見ていると思っているの!? これは偽物よ!」
ショーケースへ綺麗に飾られた宝石を指差して、婦人は怯むことなく大声で反論した。
店舗に響く声に、店員はもちろんのこと、客にまで「またか……」と渋い顔をさせていることは、美麗は知らないだろう。
「一体どんな教育したらこんな大人になるのかしら。あーあ、親の顔が見てみたいわぁ!」
「っこの!」
美麗は手を大きく振りかざす。婦人は反射的に目を瞑り体を縮めた。しかし、平手打ちは降ってこず、婦人は恐る恐る顔を上げた。
美麗の平手打ちを止めたのは、客として来ていた細身の男だった。
「落ち着いてください」
腕を掴まれ一瞬美麗は動揺の色を見せたが、すぐに彼女は掴まれた腕に力を込め抗う。
しかし、一向に振り払えず、美麗は自身の腕を掴む男を睨む。
「離して! こんな女、訴えてやる!」
「それなら尚更やめましょうね」
婦人は叩かれなかった安堵よりも、訴えると言う言葉に過敏に反応した。
「あなた、今訴えるって言ったわね!? いいわよ。こちらは有能な弁護士を立てて貴女を徹底的に打ち負かしてあげますから!」
「良い度胸ね! だったらこっちだって、あんたなんかよりも何万倍も有能な弁護士を立ててやるわ!」
「あ、それなら僕、弁護士なんでよかったら……」
腕を掴んでいた男に突然名刺を渡された美麗は、怒りはどこへやらメガネをかけた男の顔を凝視した。
「……は?」
◇
財前美麗は財閥の娘だ。
金はあるし権力もある。しかし、美麗はお転婆が過ぎる故、よく父に叱られていた。
今回も騒ぎを起こし、父は書斎へ娘を呼び出し、仁王立ちで美麗を睨むこととなった。
「美麗の言い分はいつも分かる。分かるが……もっと冷静に言葉を選んで、相手を論破できるようになれ」
「……うちの商品にケチつけるから悪いのよ」
美麗に反省の色はない。むしろ不服そうな表情をしている。
その顔を見て、父は頭を抱えた。
「はあ……」
財前は高級ジュエリー店を経営している。
店では希少で品質の良いものだけを取り扱っており、価値のわかる者だけが買えば良いというスタンスだ。
しかし、美麗は価値を見出せず、いちゃもんをつけてくる客によく怒りを露わにする。
父は「そんな奴のために怒る必要はない。放っておけ」と釘を刺す。
だが、美麗は価値のわからない奴らが多く存在していることが悔しくてたまらない。
「もうお前も21歳だ。大人なんだから、我慢も覚えてくれ」
美麗の気持ちがわかる側のためか、父は少し寂しそうにそう言った。
「わかってるけど……やっぱり腹立たしいわ」
「お前が店のものを大事に思っているのは、スタッフや常連のお客様は誰もが知っている」
そこで一度口を閉じ、父は小さくため息を吐いた。
「……それで、今回訴えるという発言もしたそうだな?」
「ご、ごめんなさい」
「まあ、それはいい」
その発言を"そんなに簡単に流していいのか"と美麗は眉間に皺を寄せたが、父は美麗の後ろで控えている男を見た。
「まさか貴方が鉢合わせているとは思いませんでしたよ」
「いやぁ、僕も身につける宝石を少しは気を遣おうかと思っておりまして」
宝石が施された腕時計を触りながら、和かに微笑む男。今回、美麗の弁護士として立候補してきた高坂嶺二だ。
嶺二は、勝つのが難しいと言われていた著作権についての弁護でも見事勝った凄腕。
負けなし故か、代金は他より少々高い。それでも祖父は信用しているということで、嶺二以外を立てることはなかった。
「唐突のことなのに、本当に力になってもらってもよろしいのですか?」
「財前家の力になって欲しいと言われていたので、喜んで受けますよ」
任せてください。とどこか信用ならない笑みをじっと眺めていた美麗は、祖父は利用されているのではないかと考えてしまう。
「この人、本当に凄いんですか?」
「こら美麗、失礼だろう。……それで、どれほど必要でしょうか」
「いえ、今回はタダで構いませんよ。今後もご贔屓にしていただきたいですし、美麗さんの信用をまず第一に考えないと」
美麗を見て笑う嶺二。その表情に一層不信感を抱く美麗。
「今回だけでもいいから、高坂さんに助けてもらいなさい。後のことは美麗に任せるから」
「……わかりました」
「ありがとうございます。それでは早速、契約書の作成に入りますね」
嶺二はサラサラと小さいノートに何か書いた後、お辞儀をして部屋から出た。
「お祖父様、本当にあんなのを贔屓にしてたんですか? あまり良い雰囲気ではなかったのですけど」
父は特に雰囲気が悪いと思っていなかった。そのため、首を傾げ、美麗を訝しげに見つめた。
「……勘か? それともただ単に気に入らないだけか?」
「どっちもです。お祖父様から金を巻き上げてそうですし、お祖父様に気に入られてるのも気に食わない」
美麗は祖父の生き方が好きだった。
好き嫌いがはっきりしており、嫌いな客を出禁にする。
もちろん嫌いだからとすぐに出禁にするわけではない。商品に対して口煩く言う嫌いな客でも、理に適った発言をするのであれば、耳を傾けて改善を検討する。
媚を売るわけではないその姿勢が大好きなのだ。
「まぁ、あの人は出費をあまり気にしない人だったからね……」
豪遊するわけではないが、良いと思ったものにはとことん金を出すタイプだ。
人を気に入ればそれだけその人へ事あるごとに金を配ってしまう。
そのせいで賄賂だと勘違いされて良からぬ方向へ進む危険もあった。
「だが、あの人ほど最適な弁護士、今更探せないと思うぞ」
父は「お前が喧嘩売った婦人、金だけは持ってるから」と意味ありげにそう発言したのだった。
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