騙され婚〜私を騙した男の溺愛が止まらない〜

2

 嶺二から契約の準備ができたと連絡をもらい、すぐに美麗は嶺二の構えている事務所へと赴いた。
 大きな建物には『高坂 法律事務所』と看板が掛かっている。
 事務所へと入るとすぐに嶺二が待ち受けており、受付を通さず奥の部屋へ。
 
 その時、その場にいた人々から視線を一身に受けた美麗は、きっとうちの宝石のせいに違いない。なんて少し鼻高になっていた。
 実際は、別の意味が込められているのだが、今の美麗がそれを知る術はなかった。
 

 二人きりの部屋で、嶺二は美麗にいくつもの質問をした。それに対して、美麗は躊躇うことなく事実のみを述べた。
 嶺二はそれらを小さなメモ帳にサラサラと美麗の証言を書き留め、トンとメモ帳をペン先で突いた。ペンとメモ帳を胸ポケットへと入れ「ありがとうございました」と会釈してから美麗を見た。

 そのあとは契約に関してや今後の対応についてを説明を受け、資料を手渡した。

「では、質問等なければこちらにサインをお願いします」

 美麗は受け取った数枚の紙を見て、ペンを手に取った。
 すぐにサインをしようとする美麗に、嶺二は目を瞬かせた。

「……全部読みました?」
「お祖父様が贔屓にしているのだから、変なことは書いていないだろうと判断したまでです」

 「貴方を信頼しているわけではありません」と言い放ち嶺二を見ずに、美麗はサインを済ませペンを置く。
 そんな美麗に、嶺二は不気味なほど嬉しそうに口角を上げた。
 美麗が顔を上げる頃には、その笑みはすっと消えていた。その代わり他所行きの笑みで美麗を見た。
 嶺二はサインをした書類を美麗から受け取り、サインを確認してからテーブルへと置いた。

「はい、確かに。……こちらは控えです。大切に保管ください」

 お客様用の控え紙を封筒へと入れ、嶺二は和やかに微笑む。それはもう満足そうに微笑むものだから、美麗は一層不審そうに嶺二を見つめた。
 
「なぜ、そんなに嬉しそうなんですか?」
「美麗さんのご祖父様と賭けをしていたんです。美麗さんが僕を弁護士として頼ってくれるか、とね」
「……お祖父様、またそのようなマネを」

 美麗は大きくため息を吐いた。美麗の祖父はギャンブルも好きで、よく賭け事をする。
 金品を賭けていたり、人を賭けていたり……様々だ。一度美麗も賭けに使われていたことがあり、散々な目に遭ったことがある。
 自分を巻き込まないでくれと美麗は祖父に頼んでいたはずだが、体質はすぐには変えられないようだ。

「……それで、お祖父様は何を賭けていたのですか?」
「それは、裁判に勝ってからにしましょうか。ご祖父様に話を通さなければいけませんから」

 含んだ言い方をする嶺二に、眉間に皺を寄せたが答えてくれそうもない。美麗は「絶対負けないでくださいよ」と嶺二に言葉を残して事務所を後にした。

 残された嶺二は、美麗がサインした書類の一枚を手に取り、ゆっくり丁寧に、巧妙に仕込まれていた紙を引き剥がす。
 その下から現れたのは、薄く透けるカーボン用紙。そして転写された、美麗の筆跡。
 表題には、はっきりと「婚姻届」の文字が刻まれている。
 しっかりとサインが写っていることを確認した嶺二は、「よかった」と愛おしそうにサインを指でなぞる。

「これで貴女は僕のものだ」

 ◇

 嶺二が自身との結婚にニヤけていたなんて知らない美麗。
 
「本当にあの男に任せて大丈夫なのかしら……。でも、お祖父様が贔屓にするほどの男。きっと腕は間違いないはず」

 胡散臭さが拭えない美麗は、アポもなしに祖父の別荘へと足を運んだ。

「お祖父様。美麗です」

 インターホンを押してカメラに視線を向ける。するとすぐさまドアロックが外れ、扉が開いた。
 美麗は中へと入り、多数ある部屋から祖父の書斎へと進む。
 書斎へと続く扉をノックして、美麗は祖父がいるであろう窓際に視線を向けた。

「いらっしゃい、美麗。今日はどうしたんだい?」

 分厚い書籍を重厚な机へと置き、美麗に優しく微笑みかけた。

「高坂嶺二ってわかりますよね? 本当にお祖父様はあの男を贔屓にしているんですか?」
「おお、ついに嶺二くんと会ったのだね。贔屓にしているのは事実だ。もちろん美麗が思っているようなことは1つもないから、安心してくれ」

 嶺二に大金を要求されたわけでもなければ、弱みを握られたわけでもない。ただ、優秀だからこそだと祖父は語る。
 美麗はその言葉を聞けて、少しだけ安堵の表情を浮かべた。だが、それだけでは違和感を拭えない。美麗は追加で質問をした。

「お祖父様と賭けをしたと聞きました。賭けに勝ったと喜んでいましたが、お祖父様は何を賭けていらっしゃったんでしょうか」
「なんと! 契約までしてしまったのか!?」
「え? 仕事を頼みましたので契約しましたけど……。それで、賭けの内容は?」
 
 契約という言葉に、祖父は過剰に反応した。その理由は、祖父が賭けていたのは美麗だったからだ。
 賭けの内容は、美麗が嶺二に仕事を頼んだら負け。なお、万が一嶺二が勝訴できなければ白紙となる予定だ。
 どちらに転んでも、美麗にとっては厄介なことこの上ないのだ。

「……嶺二くんが説明していないのなら、ワシの口からは言えんなぁ」

 目を逸らし、祖父は苦く笑う。かけていた老眼鏡をいじり、落ち着かない様子で少し体も揺れている。
 その様子を見ていた美麗は、賭けのことだけは祖父を好きになれそうもないと改めて感じたのだった。

「ヒントもなし、ですか?」
「ごめんねぇ。お仕事終わったらきっと話してくれるから、それまで待ってあげてくれよ」

 祖父は嶺二が負けると微塵も思っていない。きっと真相を知った美麗は怒る。
 そう言ったことから、決着がつく前に祖父はどこか別の場所でほとぼりが冷めるまで引きこもっていようと、密かに決意していたのであった。
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