騙され婚〜私を騙した男の溺愛が止まらない〜

5

 あれやこれやと式の準備を終わらせて、明日には結婚式。
 美麗は仕事と式の準備でぐったりとしている。二階にある自身の部屋に行くのも億劫で、リビングのソファベッドに倒れ込む。

「お疲れ様です」

 嶺二も同じく仕事と式の準備を並行していた。しかし、嶺二は涼しい顔。
 疲れも見せずに、美麗のために紅茶を用意する。それはまたもや美麗が好んで飲む茶葉だった。
 だが、もう美麗は好みを把握されているくらいで驚かない。
 祖父が話している可能性があると自己判断したからだ。
 
 美麗の祖父は、美麗を父母よりも可愛がっていた。そのため、祖父が美麗の機嫌を嶺二が取れるようにと入れ知恵したに違いないと思っている。
 なお、実際のところ、嶺二は美麗の祖父に頼らず自身ですべて調べ上げているのだが……それを美麗が自力でたどり着くことはないだろう。

「……ありがとう」

 温かい紅茶を差し出された美麗は、咄嗟に感謝の言葉を述べた。美麗は昔から感謝を忘れてはいけないと言われてた。それ故に、無意識だった。しかし、嶺二は本当に嬉しそうに笑みを浮かべ顔を緩めた。

「どういたしまして」

 その表情に、美麗は可愛い顔もできるんだなと思うと同時に、既視感を覚えた。過去、無邪気に笑う少年に会ったことがあるのだ。

(まだ私が幼い頃、一緒に遊んだ男の子と似ている気が……いえ、そんなわけないわ。あの子はもっと可愛らしかったもの)
 
 あの時は美麗も小さく、記憶も曖昧。
 だが、きっと気のせいだろうと美麗は体を起こし、紅茶を一口飲んだ。

「……貴方、紅茶を淹れるのが上手いのね」
「ありがとうございます。練習した甲斐がありました」

 嶺二は嬉しそうな笑みを浮かべながら、テーブルにケーキを置いた。
 それは、美麗の大好物であるビターチョコレートケーキ。並ばないと買えない店のもの。もちろん並んでも買えないことだってある。ものの数分でなくなってしまうほど人気なケーキなのだから。
 加えて今、美麗が飲んでいる紅茶とよく合うものだ。

「……懐柔するつもり?」
「これで懐柔されてくれるんですか?」
「そんなわけないでしょ。……でも、貰ったものはありがたく受け取るわ」

 素っ気なく言葉を返す美麗だったが、ケーキへの熱い視線は隠せない。嶺二はその様子を微笑ましく眺めていた。
 
 フォークを手に取って、丁寧な動作でケーキを一口大に切って、口へと運ぶ。
 口に広がるほどよい苦味と甘さに顔を緩める美麗。
 嶺二を忘れて無心にケーキを頬張っていく。その姿に、嶺二は向かいの席で頬杖をついてじっくりと眺める。愛おしそうに、そして満たされたような顔を浮かべる。
 
 美麗はそんな嶺二に気づかず、ケーキを食べ終わり紅茶を飲む。
 一息ついた時にやっと、目の前にいる嶺二に気がづいたが、美麗と視線が合う前に、すでに貼り付けた笑みに戻っていた。

「明日から、正式に夫婦ですね」

 嬉しそうな嶺二。それとは真逆な険しい顔の美麗。

「戸籍上すでに夫婦なんだけど」
「ふふ、それもそうですね」

 嬉しそうに笑う姿に、美麗は眉間に皺を寄せたのだった。

 ◇

 晴れやかな空の下、新郎新婦の結婚式が行われた。
 美麗は流石にこんな日に嫌な顔は見せまいと、引くつく頬をどうにか落ち着かせ、笑顔で対応した。

「誓いのキスを」

 そう言われた瞬間、美麗は思った。仕事や式の準備で忙しく、キスはおろか、ボディタッチさえもしていないことを。
 この男に性欲はないのか。そもそも何のために騙してまで自分と結婚をしたのか。数ヶ月経っても何もわかっていないままだった。

 美麗は疑問をぼんやりと抱えつつ、軽いキスを終え会場が盛り上がる。
 嶺二は美麗を愛おしそうに見つめていたが、美麗は今すぐにでも口を拭いたくて仕方がなかった。

(俳優だって演技でキスの1つや2つ……いえ、それ以上好きでもない相手にするのよ。これくらい、どうってことないわ)
 
 美麗は女優のように、笑顔で嶺二を見つめた。
 
 ――そのあとはケーキ入刀だったり出し物だったり。
 やっと椅子に座った頃には、美麗はもうお開きにしてほしいと思うほどに疲弊していた。
 無理やり結婚させられ、式まで開かされたせいだ。

 美麗とは反対に、嶺二は満たされた表情。
 嶺二は友人であろう人々に「やっと結ばれたね」「報われてよかったね」など、美麗にとって聞き捨てならない言葉が投げられている。
 騙されたのだと騒ぎたくもなったが、美麗は父の『我慢も覚えてくれ』の言葉を思い出してしまい、口を固く結んだ。

「美麗……美麗、キレイだ。美麗ぃ〜!」

 珍しく泣きじゃくる父に、美麗は思わず顔を歪ませた。

「お父様、泣きすぎ」
「お前が一番心配だったんだ。だが、本当に良かった。これもお前の大好きなおじいさまのおかげだ」

 そこで美麗はピクリと眉を動かした。それを見て、父は自身の失言に両手で口を覆う。
 美麗は1つ小さなため息を吐いたあと、父を睨むように見つめた。
 
「……それで? 元凶のお祖父様はどこへ?」
「あ、あそこにいるよ。ほら、あの端っこ」

 ひっそりと奥のテーブル席に座る祖父。
 美麗が大事な人だからと前の方に席を指定した。だが、誰かと席を変わってもらったようで、目立ちにくい奥でワインを楽しんでいる姿が目に入る。
 
 美麗は立ち上がり、「少し席を外します」とだけ言って祖父の元へ真っ直ぐ進む。

「お祖父様」
「……わ、わあ! 美麗じゃないか! 遠目でも綺麗だと思っていたけれど、近くだと一段と綺麗だねぇ」

 あからさまに動揺する祖父に、美麗は笑顔で対応する。

「ありがとうございます。……それで、この数ヶ月、どこに行っていたのでしょうか? どこを探してもいなかったので、心配したのですよ?」
「あ、あははは。……ちょっと、旅行にね」
「へえ。旅行に……。それよりもまず、私に話すことがあるのでは?」

 祖父は何か言い訳をしようとあれやこれやと言葉を美麗に投げるが、へぇ、ふぅん? と反応は極めて薄い。
 最終的に、祖父にはあまり見せない嫌味ったらしい表情を浮かべてながら、美麗は言う。

「もう私を賭けに使わないと約束、しませんでしたか? お祖父様が賭け事に私を差し出すたび、私の寿命が縮んでる気がしますわ」
「ひっ……す、すみません」

 結婚式を終えたあと、祖父は美麗にこってりと絞られたのだった。
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