秘密のカランコエ〜敏腕ドクターは愛しいママと子どもを二度と離さない〜

第1話

 昼休憩の小さな休憩室に、お昼のローカル番組の軽やかな音楽が流れる。

「お疲れさまです」
「おつかれ〜」

 私が勤務する『訪問看護ステーションからんこえ』は、私を含めて看護師六人、ケアマネージャー一人で構成される小規模な訪問看護ステーションだ。

 中古住宅として格安で売りに出されていた一軒家を買い上げ、それを事務所としている。

「もう十月だってのに暑くない?」
「夜はいいんですけどね、昼間はまだまだ暑いですよねぇ……特に自転車訪問だと」
「そうよね! はぁ〜もうクタクタよ」

 午前の訪問を終え、エアコンの効いた休憩室で朝に作った鮭のおにぎりを頬張り、時々インスタントの豚汁を飲みながら、ぼんやりとテレビを眺めていた。

『今週は産婦人科医療の最前線を支える若き敏腕ドクター・矢越宗一郎医師に密着取材をしました!』

 女性アナウンサーが明るい声で紹介するその名前 を耳にした瞬間、呼吸が止まる。

 画面いっぱいに映し出された鼻筋の通った精悍な顔つきに、奥二重の切れ長な目をした男性。
 私の思考は完全に停止してしまった。

「いやー、顔がいい先生だねぇ!」
 テレビ越しの思いがけない再会に、胸がギュッと締め付けられるように痛む。
「……そうですね」

 松本さんの話に若干の時差はありながらもなんとか反応して平然を装う。
 震える手をギュッと握りしめて落ち着かせる。

 動悸のような苦しさと胸がざわめく感覚が私を襲う。だんだんと気持ち悪くなってきてしまい、ペットボトルの緑茶を勢いよく飲んで呼吸を整えた。

──宗一郎さん……。

 かつて働いていた職場──永徳(えいとく)総合病院──で知り合ったドクターであり、私の恋人であった人。

 私は永徳の小児科病棟の看護師をしていて、小児科と産婦人科の合同歓迎会で知り合ったのをきっかけに関係を深めていった経緯がある。

 しかし私はもう二度と彼に会うことはない。

(別れて良かった。今はこうしてテレビに出るほどの名医になったってことなんだから……)

 永徳総合病院の産婦人科医で若きエースとして注目され、産婦人科副部長を務めていた宗一郎さん。

 父は永徳の内科部長、母は地域の産婦人科クリニックである「やごしレディースクリニック」の院長。
 そして本人は国内トップの大学の医学部を首席入学・卒業したエリート中のエリート。

 そんな彼と交際していたことは、周囲の人はもちろん実の親にさえ詳しく話していなかった。
 テレビからの情報を聞き流すフリをしながらごはんを食べるが、全く喉を通らない。

「へぇ、永徳の先生なんだ。そういえば永徳って清水さんが前までいた職場だよね? この先生知ってる?」
「当時から有名でしたから、矢越先生は……」

 反応に困る。
 どう話せば探られずに済むのかわからない。
 かろうじて作った笑みは違和感ないだろうか。手のひらに滲む汗をタオルハンカチで拭った。

「若いのにすごいねぇ。両親ともに名医だしね、やっぱり住む世界が違うっていうのかなぁ」

 宗一郎さんの患者を見つめる真っ直ぐな瞳は、今も昔も変わらなかった。

 言葉の裏をも見透かすような真っ直ぐな視線。
 取り繕った言葉、わずかな声色の変化をも汲み取り、患者の繊細な表情の変化も見逃さない。

 丁寧な診察と的確な処置、心強い言葉をかけてくれる先生として信頼も厚かった。そんな彼に憧れていた。
 気を抜くと過去の記憶が蘇ってしまい、締め付けられるような胸の痛みに苦しさが加わる。
< 1 / 30 >

この作品をシェア

pagetop