雨の温室に咲く約束

第十三章「祖母の手紙」

 秋の夕暮れ。
 久世家の本邸は、静けさに包まれていた。
 重厚な柱時計が時を刻む音だけが、広間に響いている。

 玲臣は書斎に腰を下ろし、祖母の遺品を整理していた。
 漆塗りの小箱や古いアルバム、そして手書きの封筒。
 淡い紫の便箋に包まれたそれを手に取った瞬間、心臓が妙に高鳴った。

 封を開くと、整った筆跡が目に飛び込む。
 そこには祖母の、静かで温かな言葉が並んでいた。



『玲臣は雨の日になると、よく皐月ちゃんの話をする。
紫陽花を見ると、彼女と温室で交わした約束を思い出すらしい。
「大きくなったら迎えに行く」と言ったことを、子どもながらに本気で守るつもりでいるのだろう。
あの子の瞳は、皐月ちゃんのことを映すときだけ柔らかい。
どうかこの先も、その想いが途切れませんように——』



 便箋を持つ手が震えた。
 幼い日の記憶。温室で指を結んだあの日。
 祖母はすべてを見ていた。

 玲臣は目を閉じ、深く息を吐いた。

「……皐月。俺はずっとお前だけだった」

 それなのに、彼女は「俺には好きな人がいる」と信じ込んでいる。
 しかも、その“相手”を——親友の玲奈だと。

 苛立ちと悔しさで拳を握りしめながらも、この手紙を見つけたことが救いだった。
 ——これは、俺の気持ちの証だ。



 翌日。
 玲臣はオフィスに皐月を呼び出した。
 窓の外は薄曇り、ビル群の間を冷たい風が吹き抜けている。

「……これを見てくれ」

 机の上に便箋を置き、彼女に差し出す。
 皐月は戸惑いながら封筒を開いた。

 祖母の柔らかな筆跡を追ううちに、彼女の瞳が大きく揺れた。

「……玲臣さんが、小さい頃から……私のことを……」

 声が震え、便箋を持つ手が小刻みに揺れた。

 玲臣は静かに言った。
「これが、俺の“証拠”だ。俺の心は昔から皐月だけに向いていた」



 けれど、皐月の胸の奥ではまだ玲奈の言葉が残っていた。

「彼には好きな人がいる。あなたじゃない」

 ——この手紙は過去のこと。今の玲臣の心は違うのでは?
 そんな疑念が消えず、涙が滲んだまま俯いた。

「……ごめんなさい。信じたいのに、信じられないの」

 玲臣の胸に、鋭い痛みが走った。

 だが、彼は諦めなかった。
 この誤解を解くまで、どんな嘘も打ち砕いてみせる。
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