雨の温室に咲く約束

第十四章「対峙」

 秋雨の切れ間。
 遠野家の庭園にある小さな温室は、湿った空気と花の香りに満ちていた。
 幼い頃、皐月と玲臣が指切りを交わした場所。
 今はガラス越しの光が淡く差し込み、紫陽花の葉に残る雫がきらめいている。

 その温室に、皐月は呼び出されていた。
 扉を開けると、既に玲奈が待っていた。

「来てくれたのね。ありがとう」

 玲奈は淡いベージュのワンピースにカーディガン。
 相変わらず柔らかな笑顔を浮かべていた。
 けれど、その瞳には揺るぎない意志が潜んでいる。



「玲奈……話って、なに?」
 皐月が問いかけると、玲奈は一歩近づいた。

「ねえ皐月。あなた、まだ玲臣さんのことを信じてる?」
「……っ」

 胸が痛んだ。
 言葉に詰まる皐月を見て、玲奈は小さく笑った。

「やっぱり。あなたは優しいから、簡単には諦められないのね」

「……玲奈。どうしてそんなことを言うの?」

 玲奈の瞳が真っ直ぐ皐月を射抜く。
 その微笑は、友情ではなく嫉妬の色を帯びていた。



「私ね、ずっと玲臣さんが好きだったの」

 はっきりとした告白。
 皐月の胸に冷たい衝撃が走る。

「……嘘、でしょ」
「嘘じゃない。小さい頃から、あなたと彼が並んでいるのを見るたびに思った。どうして私じゃないんだろうって」

 玲奈は少し顔を伏せ、笑みを浮かべた。
「でも、私は親友だから言えなかった。だから……“彼には好きな人がいる”って、あなたに伝えたの」

 皐月の視界が滲む。
 ——やっぱり。
 玲臣さんの好きな人は、玲奈だったんだ。



「皐月。あなたは全部持ってる。家柄も、美しさも、彼の約束も」
「……そんなこと、ない」
「あるのよ。だからこそ、私には彼しかいなかった」

 玲奈の声は震えていたが、同時に切実さが滲んでいた。
 その姿を前にして、皐月の胸はさらに痛みを増す。

「……玲奈、ごめん。私……」
「謝らないで。謝られる方が、余計に惨めになる」

 玲奈は笑った。けれど、その笑みは涙のように脆かった。



 皐月は目を閉じた。
 頭の奥に、玲臣の声が蘇る。
 「俺が好きなのは皐月だけだ」
 ——あの言葉は、錯覚だったのだろうか。

「玲臣さんを幸せにできるのは……私じゃないのかもしれない」

 そう呟くと、玲奈は小さく息を吐いた。

「やっと気づいてくれたのね」

 温室に響いたその声は、雨上がりの湿った空気よりも重く、皐月の心を押し潰した。



 外では再び雨が降り出していた。
 透明な滴がガラスを伝い落ち、二人の姿を揺らす。
 その雫が、友情と恋の境界を溶かしていくように見えた。
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