雨の温室に咲く約束
第十七章「すれ違う約束」
夜の温室。
雨は止んでいたが、葉に残る雫が月明かりに光っている。
幼い頃に指切りを交わした場所で、皐月と玲臣は再び向かい合っていた。
「……皐月」
玲臣の声は低く、けれど真剣だった。
「覚えているか。あの日、ここで約束したことを」
皐月の心臓が跳ねる。
——忘れられるはずがない。
「大きくなったら迎えに行く」
幼い日のその言葉は、胸の奥に今も残っている。
けれど、皐月はゆっくりと首を振った。
「……もう、約束はいりません」
「どうしてだ」
玲臣の瞳が揺れる。
「俺はずっとお前だけを想ってきた。その証拠は祖母の手紙にも残っていた」
「でも……私が信じきれなかった。信じられなかった。だから……もう繰り返したくないの」
皐月の声は震えていた。
信じたい気持ちと、また裏切られるかもしれないという恐れがせめぎ合っている。
「皐月」
玲臣が一歩近づく。
「俺は、必ず迎えに行く。今度こそ絶対に」
その力強い声に、皐月の胸は熱く震えた。
けれど、同時に涙が溢れる。
「……やめて。そんなふうに言わないで」
玲臣の眉が寄る。
「なぜだ。俺の言葉が信じられないのか」
「違う……違うの。信じたいのに、信じれば信じるほど怖くなるの」
皐月は両手を握りしめ、視線を逸らした。
「玲奈のことも……噂も……全部、私の心を乱す。あなたを信じたいのに、親友を疑う自分が嫌で……」
声が途切れ、嗚咽に変わる。
玲臣は唇を結び、拳を震わせた。
「……お前を苦しめたのは、俺か」
「私自身です」
そう告げる皐月の瞳は、決意と悲しみを宿していた。
「……だから、もう約束はいらないの」
その言葉が、夜気の中で重く響く。
玲臣は一瞬、何も言えなかった。
やがて低く呟く。
「……分かった」
彼は背を向けた。
その広い背中が遠ざかっていく光景に、皐月の胸が張り裂けそうになった。
けれど、足は動かなかった。
ガラスを伝う雫がぽたりと落ちる。
まるで幼い日の約束が、雨とともに溶けていくようだった。
皐月はひとり温室に残され、握った手のひらに爪が食い込むほど力を込めていた。
「……これでいいの。これでいいんだ」
繰り返す言葉は、冷たい夜風に消えていった