雨の温室に咲く約束
第六章「指輪の箱」
午後の光がガラス窓を透かし、オフィスの床に淡い影を落としていた。
会議を終えた皐月は資料を抱え、玲臣の執務室の前で立ち止まる。
ノックしようとした手が震える。
「……失礼します」
ドアを開けると、革張りのソファと整然としたデスク。その奥に座る玲臣が顔を上げた。
黒いスーツに包まれた肩が頼もしく見える。けれど、その瞳はどこか険しい。
「来たか」
短く告げる声に、皐月は胸が詰まった。
机の上には、小さな黒い箱が置かれている。
見慣れないその存在に、心臓が早鐘を打った。
「……これは?」
「渡したいものがある」
玲臣は箱を手に取り、ゆっくりと開けた。
中には、ひときわ輝くダイヤの指輪。
光を受けて、眩しいほどに煌めいていた。
「祖母の形見だ。大事にしてきた……お前に渡すつもりで」
言葉が静かに落ちる。
皐月の目が揺れた。嬉しさよりも、胸を締めつける痛みの方が大きかった。
「……でも、私は……受け取れません」
「なぜだ」
「似合わないから」
「似合う似合わないの問題じゃない。これは——」
「私は……あなたに相応しくないんです」
思わず口にした言葉。
玲臣の表情が凍りついた。
「相応しくない?」
「……副社長の隣に立つのは、もっとふさわしい方がいるはずです」
玲奈の笑顔が脳裏をかすめる。
皐月は視線を落とし、唇を噛んだ。
沈黙。
玲臣は拳を握りしめ、低く息を吐いた。
「……お前、何を勝手に決めている」
「勝手じゃありません。私は——」
「だったら言え。誰が俺の隣にふさわしいと、お前は思っているんだ」
鋭い眼差しが射抜く。
皐月は何も言えず、ただ俯く。
「……そうか」
短い吐息。
玲臣は箱を強く閉じ、デスクの上に戻した。
「分かった。今は渡さない」
「……」
「だが、忘れるな。これはお前のために用意したものだ」
声は冷たいのに、奥に熱が潜んでいた。
皐月の心臓が苦しく震える。
部屋を出るとき、背中に彼の声が落ちた。
「皐月。俺を信じられないなら……せめて、もう一度俺を見ろ」
振り返れなかった。
扉が閉じ、暗い廊下に皐月は立ち尽くした。
手のひらには、指輪の眩さではなく、自分の涙の冷たさだけが残っていた。