雨の温室に咲く約束
第七章「噂の温度」
昼休みの社内カフェ。
皐月がコーヒーを受け取り、窓際の席へ向かおうとしたとき、背後からひそひそ声が耳に届いた。
「ねえ、聞いた? 遠野令嬢と副社長、最近あまり一緒にいないって」
「うん。婚約解消するんじゃないかって噂よ」
「やっぱり、財閥同士の繋がりって難しいのかしら」
皐月の足が止まった。
紙カップの表面に手が汗ばむ。
振り返る勇気はなく、そのまま席へ向かった。
グラス越しに見えるビル街の光景が霞んで見えた。
午後の廊下。
玲臣が部下と共に歩いていると、背後で交わされる声が耳に入った。
「副社長、やっぱり破談ですかね」
「だとしたら次は誰だろうな。……高瀬さんじゃないかって話もある」
玲臣の足が止まった。
振り返った視線に、社員たちは慌てて口を閉ざす。
だが、既にその言葉は鋭い棘となって胸に刺さっていた。
「——くだらない噂だ」
低く呟き、歩き去る。
けれど心の奥では、皐月の態度がその噂を裏付けてしまっていることを否定できなかった。
夜。
遠野邸の応接室。
重厚なソファに腰かけた皐月の前に、父・遠野会長が静かに座っていた。
「皐月。最近のお前と久世くんのこと、社交界でも噂になっている」
「……ごめんなさい」
俯く娘に、父は厳しい目を向ける。
「結婚は遊びではない。互いの会社の未来を背負っている。覚悟を見せられないなら、最初から約束すべきではなかった」
その言葉が鋭く胸に刺さった。
皐月は唇を噛みしめる。
「……私は、玲臣さんの幸せを一番に考えているつもりです」
「ならばなぜ避ける」
「……」
言えない。真実を。
“彼には別の人がいる”という玲奈の言葉を。
数日後。
玲臣は廊下で皐月を待ち受けていた。
「皐月。話がある」
「今、忙しいので……」
「逃げるな」
低い声が胸を震わせる。
人目のある廊下を避け、玲臣は皐月の腕をとって会議室へと連れ込んだ。
「いい加減にしてくれ。噂が広まっているのは知ってるだろ」
「……はい」
「じゃあ、なぜこんなことを続ける」
「私は……あなたに相応しくないから」
小さな声が空気に落ちた。
玲臣の瞳が揺れる。
「それも、誰かに吹き込まれたのか」
「ち、違います……」
皐月は必死に否定する。けれど声は震えていて、余計に真実味を欠いていた。
「……分かった」
玲臣は低く息を吐き、背を向けた。
強い肩の線が、どこか痛々しく見えた。
皐月はその背中を見つめながら、心の中で声にならない叫びをあげた。
——本当は、あなたの隣にいたいのに。
皐月がコーヒーを受け取り、窓際の席へ向かおうとしたとき、背後からひそひそ声が耳に届いた。
「ねえ、聞いた? 遠野令嬢と副社長、最近あまり一緒にいないって」
「うん。婚約解消するんじゃないかって噂よ」
「やっぱり、財閥同士の繋がりって難しいのかしら」
皐月の足が止まった。
紙カップの表面に手が汗ばむ。
振り返る勇気はなく、そのまま席へ向かった。
グラス越しに見えるビル街の光景が霞んで見えた。
午後の廊下。
玲臣が部下と共に歩いていると、背後で交わされる声が耳に入った。
「副社長、やっぱり破談ですかね」
「だとしたら次は誰だろうな。……高瀬さんじゃないかって話もある」
玲臣の足が止まった。
振り返った視線に、社員たちは慌てて口を閉ざす。
だが、既にその言葉は鋭い棘となって胸に刺さっていた。
「——くだらない噂だ」
低く呟き、歩き去る。
けれど心の奥では、皐月の態度がその噂を裏付けてしまっていることを否定できなかった。
夜。
遠野邸の応接室。
重厚なソファに腰かけた皐月の前に、父・遠野会長が静かに座っていた。
「皐月。最近のお前と久世くんのこと、社交界でも噂になっている」
「……ごめんなさい」
俯く娘に、父は厳しい目を向ける。
「結婚は遊びではない。互いの会社の未来を背負っている。覚悟を見せられないなら、最初から約束すべきではなかった」
その言葉が鋭く胸に刺さった。
皐月は唇を噛みしめる。
「……私は、玲臣さんの幸せを一番に考えているつもりです」
「ならばなぜ避ける」
「……」
言えない。真実を。
“彼には別の人がいる”という玲奈の言葉を。
数日後。
玲臣は廊下で皐月を待ち受けていた。
「皐月。話がある」
「今、忙しいので……」
「逃げるな」
低い声が胸を震わせる。
人目のある廊下を避け、玲臣は皐月の腕をとって会議室へと連れ込んだ。
「いい加減にしてくれ。噂が広まっているのは知ってるだろ」
「……はい」
「じゃあ、なぜこんなことを続ける」
「私は……あなたに相応しくないから」
小さな声が空気に落ちた。
玲臣の瞳が揺れる。
「それも、誰かに吹き込まれたのか」
「ち、違います……」
皐月は必死に否定する。けれど声は震えていて、余計に真実味を欠いていた。
「……分かった」
玲臣は低く息を吐き、背を向けた。
強い肩の線が、どこか痛々しく見えた。
皐月はその背中を見つめながら、心の中で声にならない叫びをあげた。
——本当は、あなたの隣にいたいのに。