【書籍化決定】身体だけの関係だったはずの騎士団長に、こっそり産んだ双子ごと愛されています

突然の知らせ

 物事の終わりとは、突然訪れるものだ。

 心の準備なんて、する暇さえない。

 

 調合の準備をしていたら、隣で同じ作業をしていた同僚のアナスタシアが、そういえばと言って首をかしげた。

「聞いた? ヴェーラ様の『浄化の旅』、出発時期が早まったんですって」

「え、そうなの? もともとは、再来年の予定じゃなかった?」

 薬草を計っていた手を止めて、ライザはアナスタシアの顔を見た。

「魔獣の出現が増えてるらしくて、このままいけば再来年まではもたないと判断されたみたい」

「確かに、騎士団に討伐依頼が来ることが最近増えたものね」

 なるほどとうなずきながら、ライザは再び薬草を手に取る。

 この国の各地には、瘴気溜まりと呼ばれる場所が多数存在している。そこから発生する瘴気をそのままにしていると、周囲の植物は枯れ果て、人間が瘴気を吸い込んでしまえば肺をやられて死んでしまう。動物が瘴気を吸いすぎると魔獣と化して人を襲うこともある。

 それを防ぐために聖女が結界を張って瘴気を抑えているのだが、結界の力も時間が経つにつれ弱まってくる。そのため、聖女が各地の瘴気溜まりを巡って結界を強化する必要がある。それが『浄化の旅』と呼ばれるものだ。

 国中のあちこちにある結界を巡る旅は、移動距離だけでも過酷なものだ。瘴気溜まりの周囲で人は暮らせないので、結界は人里離れた山の中にあることが多い。人の少ない場所は魔獣の出現率も上がるし、襲われる危険性も高い。

 だが結界がなければ、この国は瘴気に覆い尽くされてしまうのだ。

「来週には、出発する予定みたいよ。ヴェーラ様付きの侍女の子が、準備に追われてるって愚痴ってたから」

「えっ、急なのね。ヴェーラ様も大変ね」

「でも大きな声では言えないけど、浄化の旅が始まったら業務がすっごくスムーズになりそうだと思わない?」

 アナスタシアの言葉に、ライザは苦笑した。

 聖女の安全を最優先に行われる旅は、前回は五年もの歳月を要したと聞く。日々気ままに過ごしているヴェーラだが、この旅は聖女の最大の任務でもある。彼女も浄化の旅だけは必ず成し遂げるだろう。

 年単位でヴェーラが不在となれば、確かに業務は随分と捗りそうだ。彼女の気まぐれで仕事の手を止められることには、皆密かに困っているのだ。

 そんな失礼なことを考えてしまったから、罰が当たったのかもしれない。

 アナスタシアが発した次の言葉に、ライザは凍りついた。

「それでね、浄化の旅には騎士団長のイグナート様が同行されるんですって」

「え……」

 手に持った薬草を落とさずにいられたのが奇跡だ。震える手で薬草を握りしめるライザに気づかない様子で、アナスタシアは話し続ける。

「ヴェーラ様が、ぜひにとイグナート様を指名されたらしいわ。お気に入りの騎士団長と一緒なら、長い旅路も耐えられるってことかしら」

「そう……ね」

 平静を装って、ライザはうなずいた。

 浄化の旅には危険が伴うため、聖女の護衛として騎士が同行することが求められる。それは理解していたが、ヴェーラには専属の護衛騎士が何人もついているはずだ。いくらイグナートのことを気に入っているとはいえ、本当に彼を連れて行くつもりだろうか。

「イグナート様は確かにとっても素敵な方だから、一緒に旅をしたいと思うヴェーラ様の気持ちは分からなくもないわ。国王陛下はヴェーラ様に甘いし、イグナート様の実力は間違いないものね」

「でも、騎士団長が不在になるのは大丈夫なのかしら。ヴェーラ様が浄化の旅に出ている間だって、魔獣の討伐はあるでしょう」

 ライザの疑問に、アナスタシアは首をかしげた。

「確かにイグナート様は強いけど、さすがに一人いなくなったくらいで騎士団が潰れることはないんじゃないかしら。真面目なイグナート様がいなくなることで、騎士団の風紀が乱れそうな心配はあるけど」

「……その心配は大いにあるわね」

 アナスタシアの言葉にライザも苦笑してみせた。生真面目で自分にも他人にも厳しいイグナートがいると、騎士団の空気はぴりっと引き締まる。彼がいないと、調子に乗った騎士が癒し手に絡んできそうで憂鬱だというアナスタシアの心配はよく分かる。

「イグナート様が不在の間は、副団長が団長業務を兼任されるらしいわ。浄化の旅には数年かかるというでしょう。だから、イグナート様はこのままヴェーラ様の護衛騎士になるんじゃないかって噂よ。王族の方々専属の護衛騎士は普通の騎士よりも優遇されているらしいし、王宮内での発言権が強くなるとなれば、イグナート様にも悪い話じゃないものねぇ」

 その言葉に、ライザは黙ってうなずく。今でも騎士団長として活躍しているイグナートだが、もっと上を目指したいと考えるのは自然なことだ。彼は、リガロフ伯爵家を継ぐ身なのだから。

「ヴェーラ様はイグナート様のことが大のお気に入りだし、このまま手放すとは思えないのよね。もしかしたら、護衛騎士に任命どころか婚約者に指名されるかも」

 アナスタシアの話に適当に相槌を打ちながら、ライザは調合に集中しているふりをする。気を抜くと、とんでもないミスをしてしまいそうだ。

 こんなにも早く、イグナートと別れる日がやってくるなんて思いもしなかった。

 ちゃんと覚悟はしていたつもりなのに、全然だめだった。

 浄化の旅を終えた彼が、再びライザのところに戻ってくることは決してない。

 だってライザとイグナートの間には、肉体関係しかないから。彼の帰りを待てる立場なんかではないのだ。

 震える唇を強く噛みしめて、ライザは調合を続けた。



 アナスタシアが話していた通り、その日のうちに聖女ヴェーラが浄化の旅に出ることが正式に発表された。

 専属の護衛騎士と共にイグナートも同行することを、ヴェーラは嬉しそうに語っていた。

 ライザは表情を変えずにそれを聞いていたが、握りしめた手には爪の跡が深く刻まれていた。

 騎士らが旅に持って行く回復薬の作成を命じられて、ライザたち癒し手はいつもより忙しくなった。だが、手を動かしていれば余計なことを考えずに済む。

 イグナートと顔を合わせたくなくて、ライザは騎士団への納品業務を同僚に頼み、調合室で回復薬を作り続けた。
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