忘れた初恋

第十九章「再びの婚約発表」

 豪奢なシャンデリアが輝く晩餐会場。
 白いクロスをかけたテーブルが並び、社交界の重鎮たちが集っていた。
 父は壇上に立ち、集まった人々に向けてゆっくりと口を開く。

「本日はお集まりいただき感謝する。先日の件を改めてここで表明しよう。——我が娘、莉子と立花家のご子息との婚約を正式に取り決めた」

 会場にざわめきと拍手が広がる。
 私は深呼吸をして、作り物の笑みを浮かべた。
 心臓は痛いほどに脈打ち、喉が渇いて声が出なかった。

 ——再びの婚約発表。
 偽りでしかないのに、父は堂々と告げてしまった。



 壇上に並べられる。
 隣に立つ御曹司が、得意げに笑みを浮かべる。
 握手を求めて差し出された手を、私はためらいながら取った。
 その瞬間——。

 視線が突き刺さった。
 会場の一角、黒いタキシードを纏った悠真がいた。
 鋭い眼差しで、私と御曹司を射抜いている。

 胸がぎゅっと痛んだ。
 昨日まで、嵐の夜に「俺のものだ」と言った人。
 その人が、今は何もできず、ただ冷たい表情で見つめている。



 会食が進んでも、心は乱れたままだった。
 隣の御曹司がさりげなく肩に触れてくるたびに、全身が強張る。
 そのたび、視界の端で悠真の瞳が揺れる。
 嫉妬の影が、炎のように見えた。

「莉子様、笑ってください。今日は私たちのための日なのですから」
 御曹司が耳元で囁く。
 無理に笑みを作ると、悠真の視線がさらに鋭くなった。



 やがて乾杯の声が響き、会場が盛り上がる。
 その隙に、私は人混みを抜け出した。
 テラスの夜風に当たりながら、胸の奥の叫びを押し殺す。

「……私は、忘れてなんかいない」
 小さく呟く。
 十年前の初恋も、嵐の夜の熱も。
 全部、私の中で生きている。

 でも、それを口にすることはできない。



 背後でドアが開いた。
 振り返ると、悠真が立っていた。
 表情は冷たく整えていたが、瞳は嵐のように荒れている。

「……婚約、受け入れるつもりか」
「私は……」
 答えようとした瞬間、彼が一歩踏み込んだ。

「君は、誰のものだ」

 再び投げかけられる問い。
 胸が痛いほどに高鳴る。
 答えられない。
 でも——心は叫んでいた。

あなたのものだ、と。

 けれど声にできず、ただ涙が滲む。

 悠真の拳が震えていた。
「……もう二度と、他人の隣で笑うな」

 低く囁いた声は、嫉妬と独占欲の炎に包まれていた。
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