忘れた初恋

第二十章「奪われた口づけ」


 煌びやかな晩餐会の会場。
 乾杯が終わり、音楽が流れ始める。
 御曹司が当然のように私の手を取り、ダンスフロアへと誘った。

 ざわめきと視線が集まる。
 社長令嬢と新たな婚約者、そう見せつけるための踊り。
 私は笑みを作ったが、胸の奥は張り裂けそうに痛んでいた。

 隣を見やれば、会場の隅に悠真の姿。
 冷徹な表情の奥で、嫉妬の炎が燃えている。
 視線が交わるだけで、体が震えた。



 御曹司が私を引き寄せ、腰に手を回した。
「今夜は特別ですね、莉子様」
「……」
 作り笑いを浮かべる。
 だが次の瞬間、御曹司の唇が近づいた。

「っ——」
 慌てて身を引こうとした、その刹那。

「やめろ」

 鋭い声が会場を裂いた。



 気づけば、悠真が私たちの間に立っていた。
 御曹司の腕を払いのけ、私を強く抱き寄せる。
 驚きの声が会場中に広がった。

「副社長、何を——!」
「彼女は俺の婚約者だ」

 その言葉に、空気が凍りついた。
 父の顔が怒りに染まり、御曹司が真っ赤になって叫ぶ。

「根拠はあるのですか! 彼女は私との婚約を——」

「根拠なら、今見せてやる」

 悠真はそう言うと、私の顎を掴み、容赦なく唇を重ねた。



 会場が息を呑んだ。
 強引で、抗えない熱。
 公衆の面前で奪われた口づけ。
 私は目を見開き、必死で彼の胸を押した。

 けれど、胸の奥は爆発しそうに熱かった。
 ——ずっと、欲しかった。
 忘れたふりをしてきた初恋の人の唇を。

 涙が零れた。
 それが拒絶なのか、渇望なのか、自分でもわからない。



 悠真は唇を離し、会場を睨み据えた。
「彼女は誰のものでもない。だが、少なくとも——お前のものではない」

 御曹司が顔を真っ赤にして震える。
 父が立ち上がり、怒声をあげる。
「悠真! 何を考えている!」

 だが悠真は、私を抱き寄せたまま低く言った。
「俺は十年待った。これ以上、誰にも渡す気はない」

 その声は会場全体を震わせるほど強かった。



 人々のざわめき、父の怒り、御曹司の憤慨。
 すべてが渦巻く中、私は彼の腕の中で震えていた。

 奪われた口づけ。
 それは、二人の関係をもう後戻りできない地点へ押し出していた。
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